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教育関係者 645139
《人が神になったとき、未来は誰のものになるのか》
「神」を「全知」であるものと定義すれば、その発想に近いものの一つが、ニック・ボストロムの提唱した「シミュレーション仮説」だろう。
この宇宙そのものが、何者かによってシミュレーションされた仮想世界かもしれないという仮説。もし、その世界のすべてを計算し、把握できる存在がいるなら、それはこの世界に対して「全知」であると言えるだろう。
ただし、世界のすべてを把握できることと、その未来を思うがままに決定できることは、必ずしも同じではない。
一方、本作に登場する「神」は、この世界のすべてをシミュレーションする「全知」だけではなかった。
この「神」は、世界にわずかな影響を与えることでバタフライ効果を引き起こし、その後に生じるあらゆる因果関係を計算し尽くすことで、文字どおり思うがままに世界へ干渉し、コントロールできる。
これはまさに、「全知」であるが故の「全能」であるだろう。
その視界からは何者も逃れられない。人間がどのような意志で行動しようとも、その行動さえ因果の連鎖に組み込まれ、バタフライ効果によって未来はすでに設計され、決定されているのだ。
なお、シミュレーション仮説では、シミュレーションする存在が、その仮想世界に先立って存在することが前提となる。しかし、本作の「神」は違う。世界が先に存在し、その中から「偶然」をきっかけに生まれたのだ。
すでに存在していた世界のすべてを、後発でありながら完璧にシミュレーションし、その未来まで自在に設計するとは、何と恐るべき演算力に支えられた「全知」なのだろう。
更にシミュレーション仮説そのものは、世界を構築する存在の意思や目的を規定していない。
でも、この「神」は「人」であった。意識と目的を持っていた。それを達成するためには、非情になることさえいとわないほどの意志を抱いている。
そんな「神」がどのようにして生まれ、何を成したのか。その記録が、本作『神話』だったのだろうか。
⸻
『プロローグ』
枢はSUVに跳ね飛ばされ、枢という意識的存在は消滅した。
それがすべての始まりだった。でも、それが何の始まりなのか、読み始めたときには全く分かっていなかった。
⸻
『第1章 胎動』
「神」は全知である。
そんな「神」をAGI(汎用人工知能)「ゼロゴス」によって創ろうとするルカ。
その意志の強さ、いや執念に驚きながらも、そこから必然的に導き出される暗黒の未来を当たり前として受け止めるルカに、脅威さえ感じてしまう。
脳のニューロンをつなぐ回路がズタズタになった枢。しかし、奇跡的につなぎ直されていく回路は、超知性を生み出していく。つまり、枢の体を持つ別の「存在」となっていた。
そんな存在を枢と思い込もうとする婚約者の栞織が哀れで、でも、その気持ちを肯定してやりたくて、胸が苦しくなるばかりだった。
⸻
『第2章 羽化』
「神」になるには、どちらも足りないものがある。
自らを記述する言語さえも、自分で開発していくレベルに達したゼロゴス。
でも、それはどこまで進化しても「計算機」の延長。シミュレーションによりいくら「全知」に近づいても、使用者の命令に応じるだけ。
世界のすべてを計算できたとしても、それだけでは未来を自らの意思で決定する「神」にはなれない。
それならまだ大丈夫。
一方、予知と錯覚してしまうほどシミュレーション能力が高まった、枢であった存在は、目的に向かって行動を開始する。
でも、脳がそれを行う以上は、その生理的限界に縛られる。危機感を感じながらも、その明確な歯止めにほっとしてしまう。
そんな「神になるために造られたもの」と「神になろうとする者」が、このような形で邂逅するとは。
そして、最後のひと押しが、ルカによりあのような形でもたらされるとは。その運命の皮肉は、これからの展開に明るい希望を持たせることを許してはくれなかった。
とうとう、人の体を持った「神」が自らを創りだした。
古典的な決定論の象徴である、宇宙のすべてを知り、未来まで計算できる超知性「ラプラスの悪魔」。
だが量子力学の登場によって、そのような完全な予測可能性は成り立たないと考えられるようになった。
しかし、本作に現れた「神」は、その限界さえ超えてしまったかのようだった。
いや、未来を計算するだけではない。計算し尽くした因果関係にわずかな影響を与え、バタフライ効果によって、人の意思に関係なく未来を決定してしまう。
究極の「全知」であり「未来」を決定する、更には明確な目的を持つ「神」。
その先にはディストピアの予感しか思い浮かばず、吐き気さえ感じるほどだった。
⸻
『第3章 降臨』
八百万の神々という考え方があり、初詣が暮らしの中に溶け込んでいる日本。
その初詣の最中に起きた事故をきっかけとして、枢が、肉体を持つ「唯一神」になるとは。何という皮肉。
さらに、その「神」は、人々に命令して支配することはしなかった。
その代わりに一人ひとりの行動を把握し、その行為によっては「偶然の事故」という必然の罰を下す「神」。
まさに、旧約聖書に描かれる厳格な「裁きの神」を思わせる。
地球最強の国家による、電子的な干渉を排した究極の攻撃さえ、わずかな物理現象起こし、そこからのバタフライ効果でやすやすと封じてしまうとは。
もう、人間の側には、この「神」を止める手段など残されていないのだろうか。
そんな中でも、かつての枢を愛し続ける栞織の存在が、胸から離れなかった。
そして「神」は、人類の未来に関わるある決断を告げる。
これからの人類は、いったいどうなってしまうのだろうか。
そこまでに至った「神」に対し、栞織ができることなど、ありっこないではないか。
終局が近づいてくる。もう、人には何も成し得ない。
そうして、最後まで読み続けた。姿勢を正して。
⸻
『エピローグ』
エピローグを読んで、『プロローグ』を勘違いして読んでいたことに、やっと気づいた。
プロローグが、今回のディストピアの発端ではなかったのか。
いや、プロローグがあったからこそ、ディストピアにせざるを得なかったのか。それが、どんなに悲劇を生むことになったとしても。
その意志、願いの強さに、ただただ、言葉もなかった。
「神」を「全知」であるものと定義すれば、その発想に近いものの一つが、ニック・ボストロムの提唱した「シミュレーション仮説」だろう。
この宇宙そのものが、何者かによってシミュレーションされた仮想世界かもしれないという仮説。もし、その世界のすべてを計算し、把握できる存在がいるなら、それはこの世界に対して「全知」であると言えるだろう。
ただし、世界のすべてを把握できることと、その未来を思うがままに決定できることは、必ずしも同じではない。
一方、本作に登場する「神」は、この世界のすべてをシミュレーションする「全知」だけではなかった。
この「神」は、世界にわずかな影響を与えることでバタフライ効果を引き起こし、その後に生じるあらゆる因果関係を計算し尽くすことで、文字どおり思うがままに世界へ干渉し、コントロールできる。
これはまさに、「全知」であるが故の「全能」であるだろう。
その視界からは何者も逃れられない。人間がどのような意志で行動しようとも、その行動さえ因果の連鎖に組み込まれ、バタフライ効果によって未来はすでに設計され、決定されているのだ。
なお、シミュレーション仮説では、シミュレーションする存在が、その仮想世界に先立って存在することが前提となる。しかし、本作の「神」は違う。世界が先に存在し、その中から「偶然」をきっかけに生まれたのだ。
すでに存在していた世界のすべてを、後発でありながら完璧にシミュレーションし、その未来まで自在に設計するとは、何と恐るべき演算力に支えられた「全知」なのだろう。
更にシミュレーション仮説そのものは、世界を構築する存在の意思や目的を規定していない。
でも、この「神」は「人」であった。意識と目的を持っていた。それを達成するためには、非情になることさえいとわないほどの意志を抱いている。
そんな「神」がどのようにして生まれ、何を成したのか。その記録が、本作『神話』だったのだろうか。
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『プロローグ』
枢はSUVに跳ね飛ばされ、枢という意識的存在は消滅した。
それがすべての始まりだった。でも、それが何の始まりなのか、読み始めたときには全く分かっていなかった。
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『第1章 胎動』
「神」は全知である。
そんな「神」をAGI(汎用人工知能)「ゼロゴス」によって創ろうとするルカ。
その意志の強さ、いや執念に驚きながらも、そこから必然的に導き出される暗黒の未来を当たり前として受け止めるルカに、脅威さえ感じてしまう。
脳のニューロンをつなぐ回路がズタズタになった枢。しかし、奇跡的につなぎ直されていく回路は、超知性を生み出していく。つまり、枢の体を持つ別の「存在」となっていた。
そんな存在を枢と思い込もうとする婚約者の栞織が哀れで、でも、その気持ちを肯定してやりたくて、胸が苦しくなるばかりだった。
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『第2章 羽化』
「神」になるには、どちらも足りないものがある。
自らを記述する言語さえも、自分で開発していくレベルに達したゼロゴス。
でも、それはどこまで進化しても「計算機」の延長。シミュレーションによりいくら「全知」に近づいても、使用者の命令に応じるだけ。
世界のすべてを計算できたとしても、それだけでは未来を自らの意思で決定する「神」にはなれない。
それならまだ大丈夫。
一方、予知と錯覚してしまうほどシミュレーション能力が高まった、枢であった存在は、目的に向かって行動を開始する。
でも、脳がそれを行う以上は、その生理的限界に縛られる。危機感を感じながらも、その明確な歯止めにほっとしてしまう。
そんな「神になるために造られたもの」と「神になろうとする者」が、このような形で邂逅するとは。
そして、最後のひと押しが、ルカによりあのような形でもたらされるとは。その運命の皮肉は、これからの展開に明るい希望を持たせることを許してはくれなかった。
とうとう、人の体を持った「神」が自らを創りだした。
古典的な決定論の象徴である、宇宙のすべてを知り、未来まで計算できる超知性「ラプラスの悪魔」。
だが量子力学の登場によって、そのような完全な予測可能性は成り立たないと考えられるようになった。
しかし、本作に現れた「神」は、その限界さえ超えてしまったかのようだった。
いや、未来を計算するだけではない。計算し尽くした因果関係にわずかな影響を与え、バタフライ効果によって、人の意思に関係なく未来を決定してしまう。
究極の「全知」であり「未来」を決定する、更には明確な目的を持つ「神」。
その先にはディストピアの予感しか思い浮かばず、吐き気さえ感じるほどだった。
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『第3章 降臨』
八百万の神々という考え方があり、初詣が暮らしの中に溶け込んでいる日本。
その初詣の最中に起きた事故をきっかけとして、枢が、肉体を持つ「唯一神」になるとは。何という皮肉。
さらに、その「神」は、人々に命令して支配することはしなかった。
その代わりに一人ひとりの行動を把握し、その行為によっては「偶然の事故」という必然の罰を下す「神」。
まさに、旧約聖書に描かれる厳格な「裁きの神」を思わせる。
地球最強の国家による、電子的な干渉を排した究極の攻撃さえ、わずかな物理現象起こし、そこからのバタフライ効果でやすやすと封じてしまうとは。
もう、人間の側には、この「神」を止める手段など残されていないのだろうか。
そんな中でも、かつての枢を愛し続ける栞織の存在が、胸から離れなかった。
そして「神」は、人類の未来に関わるある決断を告げる。
これからの人類は、いったいどうなってしまうのだろうか。
そこまでに至った「神」に対し、栞織ができることなど、ありっこないではないか。
終局が近づいてくる。もう、人には何も成し得ない。
そうして、最後まで読み続けた。姿勢を正して。
⸻
『エピローグ』
エピローグを読んで、『プロローグ』を勘違いして読んでいたことに、やっと気づいた。
プロローグが、今回のディストピアの発端ではなかったのか。
いや、プロローグがあったからこそ、ディストピアにせざるを得なかったのか。それが、どんなに悲劇を生むことになったとしても。
その意志、願いの強さに、ただただ、言葉もなかった。