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6月8日。この写真を幾度となく目にした。(The Terror of War)
ピューリッツァー賞を受賞した写真が撮られた「この日から50年」が2022年6月8日だった。バンクシーがモチーフに使ったり、さまざまな形で知られている。だが、背景やとりわけ彼女のその後についてはそれほど知られていないのではないか。自分は寡聞にして知らなかった。
キム・フック、(Phan Thi Kim Phuc)一躍有名になったベトナムの少女の、「この日」の後の人生。写真に全裸で写っていることで、公表するかを記者たちが悩むというくだりもあった。裸になった、のではない。フワッとした服を着ていたのが、ナパーム弾で一瞬にして燃えてしまったのだ。
AP通信サイゴン支局のベトナム人記者ニック・ウト(Nick Ut )。カメラマンと被写体の運命的な出会いでもあった。人生の節目節目で彼女を助けることになる。もうこんな写真を撮ることはないだろう、と彼はいう。規制や監視が厳しくなり、自由に報道写真が撮れる時代はもう終わった、と。
象徴として常に注目されインタビューが繰り返される半生だったが、祖国ベトナム政府には常に利用される苦悩の半生でもあった。大きな火傷を負って肉体的な痛みとともに生きる。西ドイツに招かれ手術を受ける、医者を目指したキューバへの留学と肉体的苦痛からの挫折、結婚を経てカナダへの亡命。
自分から体験を語りはじめ、今も世界中で戦争の悲惨さを訴えていること。
平和を訴えることは難しい。いろんな立場の人がいるから。いろいろ語るより腕をまくって自分の火傷をみせる方が伝わる、説得力がある、という場面もあった。
戦争反対、と簡単に言えるような人生ではなかった。この有名な写真のナパーム弾は、南ベトナム軍の誤爆だったこともあり、困難な立場や、板挟みになる批判もあった。
“I forgive, but I don’t forget”.
ピューリッツァー賞を受賞した写真が撮られた「この日から50年」が2022年6月8日だった。バンクシーがモチーフに使ったり、さまざまな形で知られている。だが、背景やとりわけ彼女のその後についてはそれほど知られていないのではないか。自分は寡聞にして知らなかった。
キム・フック、(Phan Thi Kim Phuc)一躍有名になったベトナムの少女の、「この日」の後の人生。写真に全裸で写っていることで、公表するかを記者たちが悩むというくだりもあった。裸になった、のではない。フワッとした服を着ていたのが、ナパーム弾で一瞬にして燃えてしまったのだ。
AP通信サイゴン支局のベトナム人記者ニック・ウト(Nick Ut )。カメラマンと被写体の運命的な出会いでもあった。人生の節目節目で彼女を助けることになる。もうこんな写真を撮ることはないだろう、と彼はいう。規制や監視が厳しくなり、自由に報道写真が撮れる時代はもう終わった、と。
象徴として常に注目されインタビューが繰り返される半生だったが、祖国ベトナム政府には常に利用される苦悩の半生でもあった。大きな火傷を負って肉体的な痛みとともに生きる。西ドイツに招かれ手術を受ける、医者を目指したキューバへの留学と肉体的苦痛からの挫折、結婚を経てカナダへの亡命。
自分から体験を語りはじめ、今も世界中で戦争の悲惨さを訴えていること。
平和を訴えることは難しい。いろんな立場の人がいるから。いろいろ語るより腕をまくって自分の火傷をみせる方が伝わる、説得力がある、という場面もあった。
戦争反対、と簡単に言えるような人生ではなかった。この有名な写真のナパーム弾は、南ベトナム軍の誤爆だったこともあり、困難な立場や、板挟みになる批判もあった。
“I forgive, but I don’t forget”.