会員のレビュー
レビュー投稿者
教育関係者 645139
《死ぬ演技を極めることは、生きる場所を探すことだった》
タイトルの物騒さに、まず身構えた。
『放課後死体クラブ(仮題)』とは。
更に(仮題)とは??
そして、各章のタイトルにも圧倒されてしまった。
「クラスルーム・オブ・ザ・デッド」
「貞子・イン・ザ・パーク」
などと、内容の予想さえつかない。
とにかく、第1章「クラスルーム・オブ・ザ・デッド」から読み始めた。
すると、そのタイトル通りに、最初から教室で阿鼻叫喚の事態。
な、なんだこの本は!?
中学2年生のひよりの妄想シーンだとわかってほっとしたが、それにしても、ひよりと由木の運命的な出会いに、なんとふさわしいオープニングなのか。
大好きだった演劇の夢が破れ、ホラー好きを隠して友だちに合わせているひより。
ホラーが大好きであることから、ひとりでいることにも平然としている由木。
この2人が意気投合し、秘密裏につくったのが「放課後死体クラブ」。
目的は、死ぬ演技を極めること。
思いつきでも、ただの遊びでもない。
真剣に取り組んでいく2人の様子に、ぐいぐい引き込まれていく。
「演じているその瞬間、役は生きている」という演技力のひより。
だからこそ、死=無に変わることは難しい。
「ホラー映画は死体役が重要」というテクニックの由木。
だからこそ、感情から遠ざかろうとしてしまう。
死ぬ演技は、生半可では極めることなどできない。
だから2人は、互いの良さを活かしながら、互いを伸ばしていく。
キャリー役とミーガン役という“夢の共演”のエチュードには、そのリアルさに息を呑んだ。
一方で、目を輝かせてながらのゾンビ談義には笑ってしまう。
物騒で、滑稽で、でも本人たちは本気。
そんな秘密のクラブ活動の中で、2人が得ていく達成感と一体感に、思わず拍手をしていた。
更に物語は、2人の内面へと切り込んでいく。
なぜひよりは、あんなに大好きで才能もあった演劇をやめたのか。
なぜ由木は、死ぬ演技にそこまで固執するのか。
それは「多感な世代だから」と片づけてはいけない、あまりにも辛い思いから辿り着いてしまったものだった。
そこまで追い詰められていたのか、と胸が詰まる。
由木には、否定されても好きなことを好きと言う強さがある。
でも、完璧な強さなんて誰も持っていない。だから、ひとりでもいいから認めていてほしい。自分の好きなものを、ハハの代わりに肯定してほしい。
ひよりは、好きなことを好きと言うことが難しい。自分の思いによって人が離れていくことを知ってしまったから。
でも、本当は自分をわかってくれる人がほしい。
そして、2人は巡り会うことができた。
だから、こんなやり取りができたのだ。
世界のどこかに、自分たちと同じような人がいるのか。
絶対いる。
その人たちも、仲間と一緒だといい。
そんな会話に、思わず涙がこぼれそうになった。
2人のように、楽しく胸を張れる場所が、どこかにあってほしいと思った。
そんな2人の絆に、危機が訪れる。
それに応じる、テクニックの由木。
それに続く、感情のひより。
由木が求め、ひよりが約束していた“悲鳴”が響き渡る。
それはまさに、「放課後死体クラブ」面目躍如のシーンだった。
そうやって危機を乗り越えた先に見えたのは、読んでいても気づくことができなかった、2人のさらに心の奥底だったとは。
きっかけは、心を閉ざしていたひより自身だったのか?
由木はなぜ死体に憧れていたのか?
その気づきこそが、2人の第二の誕生日。
新たな出発の起点なのだと思った。
そして、この本のタイトルが『放課後死体クラブ』ではなく、なぜ『放課後死体クラブ(仮題)』であるかわかる時がくるとは。
このタイトルでなければならなかったのか。
これから進んでいけるから。
これから変わっていくことができるから。
名前さえ、未来へ向けて開かれているから。
物騒なタイトルに身構え、章題に戸惑い、演技に向かう本気に引き込まれ、最後には生きることの切実さに胸をつかまれた。
そんな思いでいっぱいになって、読み終えた。
タイトルの物騒さに、まず身構えた。
『放課後死体クラブ(仮題)』とは。
更に(仮題)とは??
そして、各章のタイトルにも圧倒されてしまった。
「クラスルーム・オブ・ザ・デッド」
「貞子・イン・ザ・パーク」
などと、内容の予想さえつかない。
とにかく、第1章「クラスルーム・オブ・ザ・デッド」から読み始めた。
すると、そのタイトル通りに、最初から教室で阿鼻叫喚の事態。
な、なんだこの本は!?
中学2年生のひよりの妄想シーンだとわかってほっとしたが、それにしても、ひよりと由木の運命的な出会いに、なんとふさわしいオープニングなのか。
大好きだった演劇の夢が破れ、ホラー好きを隠して友だちに合わせているひより。
ホラーが大好きであることから、ひとりでいることにも平然としている由木。
この2人が意気投合し、秘密裏につくったのが「放課後死体クラブ」。
目的は、死ぬ演技を極めること。
思いつきでも、ただの遊びでもない。
真剣に取り組んでいく2人の様子に、ぐいぐい引き込まれていく。
「演じているその瞬間、役は生きている」という演技力のひより。
だからこそ、死=無に変わることは難しい。
「ホラー映画は死体役が重要」というテクニックの由木。
だからこそ、感情から遠ざかろうとしてしまう。
死ぬ演技は、生半可では極めることなどできない。
だから2人は、互いの良さを活かしながら、互いを伸ばしていく。
キャリー役とミーガン役という“夢の共演”のエチュードには、そのリアルさに息を呑んだ。
一方で、目を輝かせてながらのゾンビ談義には笑ってしまう。
物騒で、滑稽で、でも本人たちは本気。
そんな秘密のクラブ活動の中で、2人が得ていく達成感と一体感に、思わず拍手をしていた。
更に物語は、2人の内面へと切り込んでいく。
なぜひよりは、あんなに大好きで才能もあった演劇をやめたのか。
なぜ由木は、死ぬ演技にそこまで固執するのか。
それは「多感な世代だから」と片づけてはいけない、あまりにも辛い思いから辿り着いてしまったものだった。
そこまで追い詰められていたのか、と胸が詰まる。
由木には、否定されても好きなことを好きと言う強さがある。
でも、完璧な強さなんて誰も持っていない。だから、ひとりでもいいから認めていてほしい。自分の好きなものを、ハハの代わりに肯定してほしい。
ひよりは、好きなことを好きと言うことが難しい。自分の思いによって人が離れていくことを知ってしまったから。
でも、本当は自分をわかってくれる人がほしい。
そして、2人は巡り会うことができた。
だから、こんなやり取りができたのだ。
世界のどこかに、自分たちと同じような人がいるのか。
絶対いる。
その人たちも、仲間と一緒だといい。
そんな会話に、思わず涙がこぼれそうになった。
2人のように、楽しく胸を張れる場所が、どこかにあってほしいと思った。
そんな2人の絆に、危機が訪れる。
それに応じる、テクニックの由木。
それに続く、感情のひより。
由木が求め、ひよりが約束していた“悲鳴”が響き渡る。
それはまさに、「放課後死体クラブ」面目躍如のシーンだった。
そうやって危機を乗り越えた先に見えたのは、読んでいても気づくことができなかった、2人のさらに心の奥底だったとは。
きっかけは、心を閉ざしていたひより自身だったのか?
由木はなぜ死体に憧れていたのか?
その気づきこそが、2人の第二の誕生日。
新たな出発の起点なのだと思った。
そして、この本のタイトルが『放課後死体クラブ』ではなく、なぜ『放課後死体クラブ(仮題)』であるかわかる時がくるとは。
このタイトルでなければならなかったのか。
これから進んでいけるから。
これから変わっていくことができるから。
名前さえ、未来へ向けて開かれているから。
物騒なタイトルに身構え、章題に戸惑い、演技に向かう本気に引き込まれ、最後には生きることの切実さに胸をつかまれた。
そんな思いでいっぱいになって、読み終えた。