永善堂病院 もの忘れ外来

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刊行日 2018/09/05 | 掲載終了日 2018/10/08

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内容紹介

「もの忘れ外来」--そこは、孤独や不安が明日への希望に変わる場所。

認知症の不安を抱く人々が訪れる「もの忘れ外来」を舞台に、

看護助手・奈美の葛藤と成長を描く、感動の医療小説。

「もの忘れ外来」--そこは、孤独や不安が明日への希望に変わる場所。

認知症の不安を抱く人々が訪れる「もの忘れ外来」を舞台に、

看護助手・奈美の葛藤と成長を描く、感動の医療小説。


おすすめコメント

超少子高齢化の波が押し寄せている日本において、認知症は誰にとっても身近な問題ではないでしょうか。本作では、認知症の疑いがある人々が日々訪れる「もの忘れ外来」を舞台にした、ちょっぴり切なく、でも最後は笑顔で読み終えることのできる爽やかな医療小説です。図らずも看護助手としてもの忘れ外来で働くことになった奈美の視点を通して、自分が自分でなくなってしまうかもしれない恐怖に戸惑う患者に寄りそう医師や看護師、そして家族の姿が描かれます。病とどう付き合っていくのか。正解のない問いに、本作は真摯なまなざしで向き合っています。

著者の佐野香織さんは、第5回ポプラ社小説新人賞で奨励賞を受賞されました。本作が待望のデビュー作となります。ぜひともご一読のほど、よろしくお願い申し上げます。

超少子高齢化の波が押し寄せている日本において、認知症は誰にとっても身近な問題ではないでしょうか。本作では、認知症の疑いがある人々が日々訪れる「もの忘れ外来」を舞台にした、ちょっぴり切なく、でも最後は笑顔で読み終えることのできる爽やかな医療小説です。図らずも看護助手としてもの忘れ外来で働くことになった奈美の視点を通して、自分が自分でなくなってしまうかもしれない恐怖に戸惑う患者に寄りそう医師や看護師、...


出版情報

発行形態 ソフトカバー
ISBN 9784591160039
本体価格 ¥1,500 (JPY)

NetGalley会員レビュー

『永善堂病院 もの忘れ外来』(著:佐野香織/ポプラ社)

忘れても、忘れられないもの    
[ 評者]萩原理絵

 自分の存在がとても薄っぺらに感じたり。
 私はここで何してるんだろうと感じたり。
 『永善堂病院 もの忘れ外来』は、なんとなく心が疲れたな・・・そんな時に読みたい、ハートフルストーリーだ。

 主人公は 20 代後半の 佐倉奈美(さくら なみ)。東京 の老舗菓子メーカーで働く彼女は、仕事も順調、彼氏もいて、毎日が充実していた。しかしある出来事が 奈美の身に降りかかり 、仕事も彼氏も失ってしまう。 自分の居場所を失い、心に傷を負った 奈美は 、 北関東の田舎町に住む 父方の 祖父母 の家に身を寄せる。そして、ひょんなことから認知症専門外来の永善堂病院 もの忘れ外来で 看護助手として 働くことになるのだが・・・。

 認知症をテーマにした医療小説だが、専門知識がなくても充分に楽しめる。
認知症は、ひと昔前は「ボケ」や「痴呆」と呼ばれ、憐れみや差別の目で見られていた。今でもそう感じる人は少なくないだろう。
専門知識や看護精神をまったく持っていない奈美も、最初は認知症の患者に対して恐れや拒否感を抱いていた。しかし、それは奈美だけではない。認知症を発症してしまった患者本人も、奈美以上に強く恐れや拒否感を抱いていた。加えて、自分はどうなってしまうのだろうという不安、まわりから理解されない孤独、悲しさ。患者の 吉野鶴(よしの つる)に「 病気 の自分が本当の自分なのではないと、そう言いたいんですよね」と話しかけた奈美の言葉は、そのまま奈美の心に、そして読んでいる私の心に突き刺さる。

いろんなことがうまくいかなくて、まわりから憐れみのような同情のような目を向けられたとき、まわりとの微妙な距離感を感じたとき、本当の自分は違う! 私を理解して! と叫びたくなることはないだろうか。認知症は病気だが、発症した患者は特別な人ではない。恐れや不安、理解されない孤独や悲しさは、誰もが持つ感情だけに、実は共感できるところがたくさんある。
ひとりひとりのそんな感情に耳を傾けながら、奈美は少しずつ自分の心の傷と向き合っていく。そして失敗を繰り返しながら、自分なりの答えを見付けようともがいていく。その姿は応援したくなるし、読んでいて勇気をもらえる。もしかしたら、毎日もがいている私の姿も、誰かが応援していて、誰かに勇気を与えているかもしれない。よし、明日も頑張ろう―そんな気持ちになれる爽やかな物語だ。

そして、もうひとつの魅力は、永善堂病院を支える 3 人のイケメン医師・永善3兄弟だろう。自分大好きな心優しい長男の壱吾(いちご)先生。 クール に見えて熱い 次男の将弐(しょうじ)先生。 お調子者のようで実は繊細な誠(まこと)先生。 自分の 好み の先生に 、 胸キュンしながら読むのも楽しい小説です ♡

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認知症の話しか?と思ったけどそれだけじゃなかった。
自分が命に関わる病気になったらどうする?どう思う??今まで普通にやってきた仕事も恋愛も普通にできる?主人公の「佐倉奈美」は自分が皮膚ガンになったことがきっかけで人生が180度変わった。恋人との別れ。家族との別れ。祖父母宅で生活するようになり、新たに始める生活。永善堂病院のもの忘れ外来で看護助手として様々な認知症の方や病院関係者と接する内に心に変化が訪れる。
認知症もガンも身近な病気になっている今、患者の気持ち。患者の家族の気持ち。医療従事者の気持ちを知ることができる本でした。

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自身もメラノーマというがんに侵されて、仕事もやめ祖母の家で暮らす佐藤奈美。
資格もなく医療現場で働くことが初めてだった奈美は、慣れない仕事に戸惑いながらも真摯に向き合っていこうとする。
物事を忘れていってしまうことに不安を覚える患者さんたちや、その周りの人たちについてリアルに描かれていた作品でした。

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病院を舞台にした若い女性の成長物語、ひとことでまとめればそうなのだが、病気やアルツハイマーなどとどう関わればいいのか、自然と考えさせられたし、恋愛模様もちらほら。文章は軽く、すらすら読めてほろりとさせられる。わたしは2度、思わず涙がこぼれた。漫画「おたんこナース」にも似た雰囲気。ただ、表紙はイメージにそぐわない感じがする。途中重苦しく感じる部分はあったが、読後感は良かった。

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主人公の佐倉奈美は、キャリアを断念して実家を離れ、祖父母の住む地方都市の物忘れ外来で働き始める。
様々な老いや死の物語が、若い女性の成長と回復の物語に転じていく。
読み進めるほどに、爽やかで穏やかな気持ちになる物語だった。

世界から人を隔絶する膜がある。見えない膜だ。
その膜は、病気だったり、傷つきだったり、孤独だったりする。
祈りが膜を乗り越える時があることを信じるのが、支援職の仕事でもある。

死は、その人が最後にできる教育だと、私は思う。
主人公がそのプレゼントを受け取りながら成長していく。
誰かにそうやって受け継がれていくから、無駄な死は、無駄な生は、ひとつもない。
そうやって世界は、今日も回っていくだろう。

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病気って命ってなんだろう。主人公の奈美は、自らの病をきっかけにその街でその病院と出会う。そこで働くことになるのだ。
奈美の存在は小さな石が流れに投じられた如く、流れを変えることはないが、川底の石たちの動きを変えていく。
周囲のスタッフの人間くささと、向き合う患者の人生の時間が交錯していくのに目が離せず、一気に読んだ。
忘れてしまうことと、忘れられてしまうことへの恐れ、それは受け入れがたい認知症と、死との向き合い方につながっている。
読む側にも早かれ遅かれその日はやってくる。奈美の行動を通してその覚悟を問われているような気持ちにもなった。

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笑ってほしい。確かに最期の時周りの人には笑っていてほしい。今までそんな風に思ったことはなかったけれど、いつか誰かを看取る時は笑顔で看取ろうと決心させてくれました

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ある事情で病院の物忘れ外来の看護助手として働く事になった主人公の成長の物語。
医療小説で物忘れ外来が舞台って何て地味な設定なんだろうと思ったけど、患者が抱える孤独や家族の不安など、とてもリアルに描かれていてとてもよかった。
暗くなりすぎずハートフルな展開がよかった。

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本書は自らも病気を患いながら、永善堂病院で医療助手として働き、同僚や患者本人たちに支えられながらまっすぐに患者と向き合う奈美の物語。
患者との向き合い方にたった一つの正解なんてない。
失敗を繰り返しながら、患者一人一人の気持ちに添い、その人に合う方法でやっていくしかない、そんな難しい医療現場のリアルが描かれていた。

私も以前、脳神経外科で務めていたことがあり、そこにも本書のような「もの忘れ外来」があった。
もの忘れ外来の予約はいつも3ヶ月待ちの状態で、そんなにも多くの人が物忘れの受診を希望しているということに驚いていたことを思い出した。
実際、もの忘れというのは身近な症状で、ある程度の年齢を重ねれば誰もが心当たりのあるものなのかもしれない。
今でこそ認知症という病名がつき、その中でもアルツハイマー型やレビー小体型、前頭側頭型などに分類されているが昔はその症状から痴呆やボケなんて呼ばれていた。
認知症は現段階ではまだ特効薬も、画期的な治療法もない。
病気の進行を止めることもできず、わずかばかり遅らせるくらいしか出来ることがない。
看病する家族としてはただ見守ることしか出来ず、少しずつ病状が悪化してゆlく患者と向き合うことしか出来ないというのは歯がゆいことだろう。
しかし、病名がついたことにより病気の一つとしてみられることになったことは家族にとっては周囲からの理解を得やすくなったのではなったのではないだろうか。
その一方で、それにより病名を告げられた当人を社会から孤立させてしまっていたのだということに本書に登場する認知症患者たちの孤独を知って、改めて気づかされた。
患者当人にとっては病名がついたからといって認知症=ボケという昔ながらのマイナスイメージが消えたわけでもなく、社会に「病人」として晒され、特別扱いを受けることになるだけで状況はそう変わらない。
人によっては周囲から病人とみられることに苦痛を感じる人もいる。
病気というのは当人、患者を支える人たち、双方にとって辛いものだ。
だからこそ周囲からも認知症を理解をしようと歩み寄ることで、少しでも患者当人と家族への心の負担を軽くすることが出来るのではないだろうか。

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最近、母の物忘れが多くなってきた気がしているのでまずタイトルが気になりました。

物忘れ外来に働く看護助手が主人公だから一般人目線で難しい医療用語を使わない代わりにあまり認知症の症状、家族などに深く突っ込んだものはあまりなかった。

でも、日常生活の中で私は何故か母がいつまでも15,6年前ぐらい前の毎日叱られていたあの頃のイメージで元気だと思い込んでいて、体調が悪いと母が言ってもあまり真剣に取り合えないでいると気付かされて自分の都合よりも母の心と身体の調子に気を配っていこうと思いました。

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