むらさきのスカートの女

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刊行日 2019/06/07 | 掲載終了日 2020/01/31

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内容紹介

【第161回 芥川賞受賞作】

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し……。

『こちらあみ子』『あひる』『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』と、唯一無二の視点で描かれる世界観によって、作品を発表するごとに熱狂的な読者が増え続けている著者の最新作。

【第161回 芥川賞受賞作】

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し……。

『こちらあみ子』『あひる』『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』と、唯一無二の視点で描かれる世界観によって、作品を発表するごとに熱狂的な読者が増え続けている著者の最新作。


出版社からの備考・コメント

カバー装画は榎本マリコさん(『82年生まれ、キム・ジヨン』など)。

カバー装画は榎本マリコさん(『82年生まれ、キム・ジヨン』など)。


おすすめコメント

「小説トリッパー」掲載時から新聞・通信社の文芸時評でも取り上げられている注目作。野間文芸新人賞を受賞し、芥川賞、本屋大賞にもノミネートされたベストセラー『星の子』以来の中編小説。

「小説トリッパー」掲載時から新聞・通信社の文芸時評でも取り上げられている注目作。野間文芸新人賞を受賞し、芥川賞、本屋大賞にもノミネートされたベストセラー『星の子』以来の中編小説。


販促プラン

【第161回 芥川龍之介賞受賞作】

おかげさまで大反響!たちまち10万部突破!!

【第161回 芥川龍之介賞受賞作】

おかげさまで大反響!たちまち10万部突破!!


出版情報

発行形態 ハードカバー
ISBN 9784022516121
本体価格 ¥1,300 (JPY)

NetGalley会員レビュー

地元では差別され、こどもたちにもからかわれているような存在の“むらさきのスカートの女”が、語り手の裏工作により、就職し、職場で受け入れられ、地元のこどもたちにも懐かれるようになっていく過程を、ただ淡々と観察し続ける語り手。友達になりたいという欲望があるにもかかわらず、女に直接何かをするわけでもなく、ただ監視のようにただつきまとう、それが怖い。女の立場が危うくなっていくのも、観察している。過去の今村作品では、作品自体に漂う空気に、気持ちが落ち着かなくさせられていた。しかし今回は、顔の見えない語り手がただただ怖い。怖いもの見たさの人にすすめたい。殺意や悪意より怖いと私は思う。

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初めはなんとなく変だな、って思うことが読み進めるにつれてどんどん「これおかしい、どう考えても変!!」ってなる薄気味悪さが妙に心地いいです。‪

むらさきのスカートの女を見つめ続けるもう一人の女。この人の距離感がどう考えてもおかしいのだけど、その原動力が「彼女と友達になりたい」って言うのがとにかく切ない!もっと他にやり方あるよ…。‬なんでそんなことしちゃうの…。一歩間違えたら、もしくは側から見たら自分もこうなのではないかと思わされるほどに、この女の行動は痛くて辛くて胸が苦しくなりました。

不器用にしか生きられない人間の切なさと滑稽さを今村さんが優しく描いてくれた作品。

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近所で「むらさきのスカートの女」と呼ばれ子供達含めネタにされているが、実は然して面白味もない普通の女を観察する一人の女が語り手の中編小説。この“むらさきのスカートの女”と親しくなりたいと思いながらも接触はせず遠回しに工作し近付き、観察をエスカレートさせる姿が、行動力があるんだかないんだか分からずとても薄気味悪くて、言葉にならない恐怖を覚えた。独り虚しい主人公が、勝手に自分と似ていると思い込んだ人をターゲットにただただ“見るだけ”のストーキングをする本作は、待ち合わせなどで時間が余った時にふと人間観察をする感覚の延長の様に思い、観察ののめり込み方は置いておくとしても共感は出来たし、非常に面白かった。

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今村夏子さん大好きです。
むらさきのスカートの女、黄色いカーディガンの女、彼女たちはすぐ隣にいそうな、もしかしたら私かもしれない女。
ここかここじゃないか、ぎりぎりここか、私か私じゃないか、ぎりぎり私じゃないか。危うい感じが心地よいような、不安なような…

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※事前にあまり情報を得ずに本書を読むことをお薦めしたい、というのは衝撃的な作品、異色な作品に対してよく使われる言葉ですが、そういう言葉に不安を覚える方も多いと思います。なので不安な方だけ下の文章に付き合って下さい。不安を覚えなかった方は、こんな駄文に付き合っている暇があったら、さっさと本書を読み始めてください。

 最初から真っ黒な画用紙のような恐怖よりも、こぼれた墨に侵食されてやがて真っ黒になったような恐怖のほうが好きだ。と、初っ端から変な例えをしてしまいましたが、ホラーという枠組みで語るのはすこし違うような気はしますが、徐々に恐怖のほうへと様相が変わっていくのが、とても印象的な作品です。あまりにも存在感が稀薄な一人称の《わたし》は語り手というよりは監視者というような雰囲気で、そんな《わたし》に不気味さを覚えながら、物語は進んでいく。そして《むらさきのスカートの女》という不確かな存在がくっきりとした魅力を持ち出すと、その不気味さはさらに強まっていく。そして本当に怖いのは、自分にも《わたし》のような側面がかすかに眠っているのかもしれない、という恐怖だ。距離感というものの曖昧さを浮き彫りにする不穏な傑作です。まとわりつくような不快さに抗えない魅力があります。明かされる真相の意外性も相まって、嫌な余韻は残るけれど、嫌いになれない作品です。

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序盤からおかしいぞ、おかしいぞと思いながら読んでいたけれどまさか、ここまでおかしいとは!
終盤の怒涛の展開には飛び抜けた狂気を感じる。
きっとこの本を読んだら、人生で変わった事が起きた時、「むらさきのスカートの女って小説があったな」と思いだしてしまうだろう。

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「こちらあみ子」以来の今村夏子さん
やっぱり怖かった

まさかこんな事あるわけないよねと思いながらも、どんどん引き込まれて全く抗えない

癖になる作家さんです

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最初は普通なんだけど。
途中から、あれ?おかしいぞ?と。
じわじわと感じる恐怖を感じました。

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読んでいて、ジワジワとソワソワと落ち着かない感覚でした。人間の嫌な部分や感情が見え隠れする。色々な意味で強烈な印象の残る物語でした。

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ラヴェルのボレロのような。
読みはじめはむらさきのスカートの女に対する小さな?がわいてきて、その?がだんだん大きくなるのと同時に語り手の黄色いカーディガンの女に対する?がわき始める。2種類の?が増え続けていくと思っていたら、今度は!とか⁉︎とかまで出てきて頭の中にこれ以上は入りきらないよ!と思ったところで、ビッグバン。という感じ。Y字型の枝にくくりつけたゴムをギリギリと引き絞っていく怖さが最後まで続くというか。
人のシャンプーの心配はできるのに、自分は家賃を払えなくなるって、すごく怖いけどわかるような気がします。

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少しずつ澱みが増えていき澱のようになり、すっきりしないまま残像が残ってしまう。
女性が女性を観察する話で、常識とはすこし離れた感覚が澱みを産んでいく。
ありえない方法で当人を誘導し近づく様は嫌悪感をもよおし、また名前があるにもかかわらず作中「むらさきのスカートの女」だったり「黄色いカーディガンの女」と表されており、感覚のズレを感じさせていきます。
すべてが腑に落ちないまま流れていき、これが日常なのかと思い知らされました。

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さすがの今村夏子さん。
どうしてこんな物語が書けるのか、そのアタマの中が知りたくて仕方ありません。
今村先生の作品は、地平がぐにゃりと歪んでいて、日常を描いているにも関わらず、どこか違う世界に舞い込んでしまったような座り心地の悪さを覚えます。
身一つで無重力空間に投げ出されたような、心もとなさというか…
うーん。今村作品を読んでいる時のこの気持ちを、どうにか言葉にしたいのですが、いつもうまく言い表せません。
人間の感情を勉強中のAIが書いたんですと言われたら「どおりで~」と納得してしまうくらい、作者の意思というか、「こうしてやろう」「この作品を通してこんなこといってやろう」というモノが見えない。
あまりの見えなさに息苦しさすら覚えます。

見えないながら、どうにかこうにか今作から読み取ったのは、【市井の人々の、悪意のない悪意】でしょうか。
最初は、“むらさきスカートの女”のエピソードから、「あぁ私の近所にも昔こういう人いたわー!」と思い、にやにやしながら読み始めました。
人形ババァ(人形をバギーに乗せて話しかけてるおばあちゃん、無害)とか、緑ジジィ(いつも緑のジャージを履いてる公園で体操してるおじいちゃん、無害)とか、私もあだ名をつけて、その行動をこっそり観察してたもんです。
でも、すぐに風向きが怪しくなってきて。
いやこれ、この観察してる女の方がやばいやん。
この人どこまで行ってしまうのかしらと、嫌な汗をかき始める。
彼女を突き動かす情熱はなんなのか。
これを情熱と呼んでいいのか?でも情熱としか言いようがないほど真っ直ぐに、彼女はむらさきスカートの女にのめり込み、どんどん常軌を逸していく。
正しいことをしているつもりの人の気持ち悪さ、真っ直ぐな人の薄気味の悪さを書くのが本当にうまい。
じわりじわりとぬかるんでいく地盤、そしてラスト…ただただ、唖然。

『星の子』のラストについて書店員仲間で語り合った時に、その解釈が全然違った事を思いだしました。
どこまでも座りが悪い今村作品。どうしてこんなにも面白いのか。
【一体もオバケが出てこないことが逆にコワイオバケ屋敷】みたいなその魅力を、今作でも存分に味わって下さい。

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どうなるの!?どうなるの!?序盤の先の読めなさと登場人物の行動の不安定さとで派手さはないけど引き込まれた。
内容に対する全体のの長さも適当で好感が持てた初めての今村夏子さん作品。

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しばらく読み進むまで気がつかなかった。ふとこの語り手の女に薄気味悪さを覚えたが最後、気持ち悪さが付きまとって離れてくれない。
執拗に繰り返される「むらさきのスカートの女」というワードに、語り手の女の焦りが見えた。

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最初は、少し変だな…とは思いつつ、淡々と進む中、徐々に加速を増し、終盤には、嵐のような狂気に、ゾッとどころではない。
本当、怖すぎる。
語り手がずっと謎だったけど、明らかになって、更に、気味が悪い。
今村作品は、いつも最後に居心地の悪さを感じる。おさまりが悪いというか。むずむずするというか。これは、決して、悪い意味ではなく、良い意味です。
あの商店街や子供達に、むらさきのスカートの女のように、黄色のカーディガンの女と言われるようになるのかな。

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主人公と一緒にむらさきスカートの女を見つめていた。
彼女は自分の希望通りになったのだろうか。
とにかく行動が無茶苦茶だな。そりゃそうなるよねと納得しつつ目が離せませんでした。
行方が分からなくなった彼女もまたどこかで都市伝説になるのだろうか。

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むらさきのスカートの女をずっとずっと見続ける黄色いカーディガンのわたし。
都市伝説になりかけのむらさきのスカートの女を見守り助け、友達になろうとしたのか、いざという時の保険にしたのか。
終わりまで読んでまた冒頭に戻るとメビウスの輪のようにぐるぐるしてしまう。

今村夏子先生のお話は、なんとも考えさせられる、考えてもそれが正解かは分かりそうにない、不思議な話だ。

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どこの市や街にもたいてい名物おばさん、おじさんはいるもので、最初は「紫のスカートの女」の異質さに目が行くが、途中から「黄色いカーディガンの女」の異質さに鳥肌が立つ。
一見「ごく普通」に思える人の、心の闇の深さと異質さが、私の回りの「ごく普通」の人の中にもいるかも知れないと思うと、人間不振におちいりそうだ。
でも、私も「ごく普通」の「黄色いカーディガンの女」なのかも知れない。

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毎日同じことの繰り返しの日々が当たり前の日常がちょっとした歪みが発生したらその日からは異常な日々が始まる。「むらさきのスカートの女」は町の変な人なのか?それとも「むらさきのスカートの女」を毎日観察している「私」が町の変な人なのか?淡々と続く観察日記はまるで一緒になって覗いてるような感覚に陥っていくから不思議だ。危うさが漂う今村ワールド。やっぱり大好きです。

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むらさきスカートの女はどこに向かったのだろう。
黄色いカーディガンの女はどこへ向かいたいのだろう・・・。

地域で噂の”むらさきスカートの女”と関わりを持つ為、友達になりたいが為に
自分の職場に就職するよう誘導する”黄色いカーディガンの女”。
むらさきスカートの女の習慣を観察、分析し、誘導するー
その執着心にもにた行動に、ぞくりとする薄気味悪さを感じました。

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”むらさきのスカートの女”という、実に失礼な二人称。それは、名前でなく記号だ。
その彼女に、きちんと名前が与えられ、少しずつ、魅力的なひとりの人間としての輪郭が見えてくるほどに、
それとは反比例するように、ひとつの疑問が浮かび上がってくる。
そして、それがとても、怖い。
……いや、おぞましく、とても気味が悪い。

そうなのだ。
……語り手よ、お前は一体誰なんだ?

まるで神のような視点で、その名を知っているハズなのに、頑ななまでに”むらさきのスカートの女”と呼び続け、見守……いや、監視を続けているお前は何者なのだ。

これがとにかく気味が悪い。
何なのだコレは――と思いながらも、何故だろう。ページをめくる手が止まらない。
このふたりの行きつく先が知りたくて知りたくて仕方がなかった。

この「狂気」から目が離せないのは、人間誰しも、野次馬根性というか、他人のコトを覗き見てみたいという欲望が隠れているからではないだろうか……?
今村夏子さんの作品は、顔をしかめながら、うんうん唸りながら、それでも毎作、読んでしまうんだよなぁ。

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むらさきのスカートの女と、 きいろのカーデガンの女と、常軌を逸した状況に、読み手も巻き込まれ、無限ループのように、ぞわぞわしてくる。紫から黄色へ不穏感が移っていく、頭の中で紫と黄色が混ざり合って、落ち着かないような。むらさきのスカートの女はどこにいるのか、意外とそばにいたりして…今村夏子ワールドはクセになる。

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子どもの頃、近所に奇妙な人物が住んでいたことがある。大人になってからもそういった人物と街中で何度かすれ違うことがあり、通りすぎる人々はくすくす笑うか、視線をそらすかのどちらかに分かれた。

今思えばあれは、「自分とは違う世界にいる人間」を見る、分断された〈こちら側〉の眼差しだったように思う。

そんなことを、不意に思い出した。

「むらさきのスカートの女」に向ける世間の視線は、好奇心か無関心、あるいは娯楽のどれかに分かれる。

彼女にも名前があり、一人の人間としての人生や人間関係が存在するのだと、読者自身にも作中の登場人物達にもはっきりと示されたとき、「むらさきのスカートの女」と呼び分断することに、座りの悪さと躊躇いを覚えはしなかっただろうか。

痩せこけていた彼女に周囲は食べ物を与え、少しずつふっくらしていき、清潔にして身綺麗にして、やがて〈女〉になっていく彼女。
また、「職場の備品を持ち帰る」といったやり方を教わったことで、いささか眉をひそめたいような行為にも手を染めていく。

ここまで来て初めて、「与えられたものによって、人はどう変化するのか」ということに愕然とするのだ。

彼女について噂を立てて陰口を叩く周囲の人間や、彼女が去ったときに都合のいいように真実を捏造する上司。
嫌になるくらいに、「ごく当たり前な、市生の人びと」の姿が、そこに有りはしないだろうか。
無自覚な悪意、善意のつもりの人びとによる断罪の描写がただ上手い。

何よりも不気味なのは、「むらさきのスカートの女」について語る、語り手の〈わたし〉の存在だろう。

ラストまでたどり着いたそのときに、物語の始まりへと視線を移して呆然とした。凄い物語だ。

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決して、所謂『イヤミス』というものではないのだけれど、読んでいる間も読み終えた今も、心の底にどんよりと重たい泥が溜まったようなじっとりとした嫌さが残り、気持ち悪い。なのに、読む手を止められない。むらさきのスカートの女の変わってゆく様も取り巻く人々の態度も、ストーカーばりに観察している語り手も、薄気味悪いのに何処にでもいそう。本当は普通の人かもしれないのに怪しい。そういったそこはかとない不安がどうしても拭えませんでした。
一体、『むらさきのスカートの女』は何者で何処へ行ってしまったのか?
考えてみれば、恐い程のことは何も無いのに、こんなに不安な気持ちになってしまうところがこの作品の恐ろしい1面だと思います。

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そもそも主人公は何をしているのだ、と思いながら読み進める。むらさきのスカートの女の観察もおもしろいのだけれど、主人公は本当になにをしているのか。ストーカーといえばストーカーなんだろうけど、なんだかそれとも違うような気がする。なんだろう。とにかく不気味。奇妙なむらさきのスカートの女を観察する不気味な主人公。生身の人間が一番怖いんだよな、と思うのだけど、むらさきのスカートの女は実在したの…???

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え、なんか変…と思いながらも引き込まれてしまう面白さ。
むらさきのスカートの女も、黄色いカーディガンの女も、どっかそこら辺にいそう…見かけたらどうする?声掛ける?
思わず自分も小学生になった気分だ。
薄気味悪さがクセになる!

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あっという間に読了。短いとかそう言う意味ではなく、語りがうますぎるからだと思います。
読んでいて読者が気になるのは、「むらさきのスカートの女」ではなく、彼女を観察している語り手のほう。
うすら怖いというか、気味が悪いというか。なのにどんどん読めてしまう。
終わり方も秀逸です。

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むらさきのスカートの女は
どこに消えたのでしょうか?
本当に存在したのでしょうか?
もう一人の自分なのでは?
不思議な感覚です。

店長との最後のやりとり。
なぜかわたしは
笑ってしまい、楽しくなりました。
わたしは
黄色いカーディガンの女
なのかもしれません。

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デビュー作を読んで以来、ずっと応援していた作家さん。芥川賞おめでとうございます。今回の作品もめちゃくちゃ面白かったです。そして非常にわかりやすかったように思います。語り手によっての描写を読むとむらさきのスカートの女は特異な感じを最初受けるが読み進めていくと徐々にあれ?この語り手ヤバくない?っていうか誰なの?となってくる。一見、ユーモラスに見えてはいるが語り手の異常性が当たり前の事のように軽い感じで語られるところはコワッとなりながらも釘付けにされてしまいました。

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読み進めるうちに少しずつ、なんともいえない違和感が大きくなっていく。語り手は自分のことをあまり語らない。語らないからわからない。わからないからこわい。
こんなに不安な気持ちにさせられるのになぜ読み進めてしまうんだろう。

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今村夏子さんしかいません。こんなとんでもないところに私を連れ出すのは。

張りつめる空気。重力の不和。
心許なく不安が付き纏う、不穏低気圧。
それでも読まずにはいられない。

知らずのうちに人を指差していた無礼な指が、いつのまにかピストルを模して自分のこめかみに突きつけてられているかのような読後感。

何故これほどまで引き込まれてしまうのか。
この唯一無二の読書体験、多くの方に体感してほしいです。

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むらさきのスカートの女と、友達になりたい女の話。日常がゆっくりと、転がり始めて、狂ってゆく様を描くのが、本当に、恐ろしいほどに上手い。
むらさきのスカートの女を客観的に観察しながら、友達になりたい女が、どんどん、むらさきのスカートの女が主役の物語の、蚊帳の外へ押し流されて行く。物語が進んでいくのが、とても切なかった。こんな気持ちになる読書って、そうそうない。凄い作品だと思う。

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むらさきスカートの女と黄色いカーディガンの女は同一人物なのでしょうか?ある種の錯覚に陥る作品ですね。昔やっていた世にも奇妙な物語のエピソードにありそうな内容で私は好きです。むらさきスカートの女は幸せなって行くのかと思いきや結局こりつしてしまう、黄色いカーディガンの女は代わり映えなく孤独で、人とはそう簡単に変われない自分の中にある自分の話なのかな。

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「むらさきのスカートの女」への「黄色いカーディガンの女」の偏愛が読みごたえありました。クレイジーだけど、それも恋。「むらさきのスカートの女」より「黄色いカーディガンの女」の方がクレイジーさでは勝ってると思うし、ちょっとかわいいかもしれない…と思います。

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