ほんとうの道徳

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刊行日 2019/06/20 | 掲載終了日 2022/07/05

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内容紹介

そもそも道徳教育は、学校がするべきじゃない!

2018年度に小学校、2019年度には中学校でも、道徳が「教科」となった。 学習指導要領は「家族愛」や「生命の尊さ」「国や郷土を愛する態度」など22の「価値」を教えるということを掲げている。しかし、ある価値観を教えるというのが、果たして「正しい教育」なのか? 現場の先生にとっても悩み多き問題だ。

そもそも、「道徳」は教え、評価できるようなものなのか? 著者はその問いに否定的だ。学ぶべきは道徳ではなく「市民(シチズンシップ)教育」であり、それはすなわち相互承認に基づく「教養」だと考える。 では、その中身とはどのようなものだろうか。 それを考えるには、道徳とはそもそも何なのかを知る必要がある。実は、この答えは古くから哲学者たちが突き詰めて考えてきたことなのだ。

道徳の授業なんて、「いい子」ぶった答えをしていればよい。 ――そんな授業はもう終わりにしよう。 気鋭の哲学・教育学者が、道徳の本質をわかりやすく解き明かし、来るべき教育の姿を構想する。 道徳副読本として教師や親、子どもたちも使える「理想の道徳教科書」となる一冊。

そもそも道徳教育は、学校がするべきじゃない!

2018年度に小学校、2019年度には中学校でも、道徳が「教科」となった。 学習指導要領は「家族愛」や「生命の尊さ」「国や郷土を愛する態度」など22の「価値」を教えるということを掲げている。しかし、ある価値観を教えるというのが、果たして「正しい教育」なのか? 現場の先生にとっても悩み多き問題だ。

そもそも、「道徳」は教え、評価できるようなものなのか...


出版情報

発行形態 ソフトカバー
ISBN 9784798701714
本体価格 ¥1,600 (JPY)

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NetGalley会員レビュー

道徳の教科化でモヤモヤする、その正体解明をしてくれる本。

道徳教育には、うさんくささが付きまとっている。
まず本書は、その認識からスタートする。
そうだよなーと思いながら、読み進めた。
道徳が教科化される、教育書が配られる、通知表に評価が載る。先生方は、その評価を数字ではなく、文章で書かなきゃいけない。
なんか大変そうだなーと、外野から眺めるだけの私だが、読んでいてハッとさせられることも多くあった。
己の正義を振りかざす「徳の騎士」にならないために。
哲学の世界が発明した、自由の相互承認の感度を育むために。
そのための道徳教育なのだ、と。

今回の教育改革は、大きな変化だと言われている。
大量生産・大量消費の時代が終わって、多様性の時代へ。その時代の変化に即したものだと。
詰め込み型の教育ではなく、問題解決能力を養う教育方針になっているらしい。
本書は、その変化の解説もあり、問題点の指摘もあり、さらに現状の指導要領でも十分に理にかなった授業が可能なのだと解説してくれている。

教育に関わる方はもちろん、学齢期のお子さんがいる家庭の大人の方にも読んで欲しいし、これから社会に出てくる子供たちはどんな教育を受けることになるのか、一般社会人も知っておく必要があるのではないかと思う。
本書を、道徳の教科化と聞いてココロがザワついた人、全員にオススメしたい。

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マイナスな意味合いに受け取られたらすみません。親が子どもたちの躾を放棄し、近所の付き合いも狭まり、子どもを育てるのは学校だとその役割が過大になる中で、道徳が教科となりました。子どもたちは上手です。授業や参観日には、とてもキレイな意見を言う。道徳をどう測るのか、意見の裏にある本質を見抜いても、評価としては出せない。かといって、ディスカッション主体の展開も違うような気がします。相手を負かす、過激な思想に走りかねない。相手の痛みを思いやれるという思いやりや、自分を愛すること、ひいては相手を愛することをどのように育めばよいのか、道徳だけではないかの学びについて試行錯誤は続きます。

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元小学校教諭です。
教科になっても、文章での評価が義務づけされても教科化の効果は期待薄です。
英語、プログラミング同様、(歳を取った)大人たちが、
自分が身につけることができなかった苦手なことをを子どもにさせようとしている感ありです。
文科省がすべきことは、内容項目の精査だと思います。あれもこれもと盛り込みすぎています。
一読して思ったのは、“道”に”“徳”付いているのがよくないということです。
いっそのこと、教科の名前を「モラル」にして、
日本の学校現場お得意の教え込みにすれば、
文科省あたりの人たちは納得するのでは?などと乱暴なことを考えてしまいました。
著者の主張は理解できますが、現状は、どの子どもにも発言力が備わっているわけではないので、
一部の子どもたち限定ですね。

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子ども達への信頼に裏打ちされている。そこが素敵な本だ。
公教育で道徳を教科として行うことが決まってしまったのであれば、それをどう活かしていくのか。
公教育で行われる道徳が、ムラの習俗のような一部の共同体にだけ通用するような道徳原理の教え込みになるのではなく、より普遍的なルールを目指す精神の陶冶になるような願いを込めて書かれている。ヘーゲルの掲げた「自由の相互承認」という原則である。
すればするほど価値の対立をもたらしたり、上っ面だけの茶番にならないように、実践的な方法論と哲学が積み重ねてきた知見が盛り込まれている。
世界がよりよいものになるように。この社会の抱える問題点と同時に、希望を思い出させてくれる、とてもよい本だと思う。

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道徳の学びとは自由の相互承認である。

相互承認には己を知る、他者了解を知ることに本質がある。本質と言う名の意味を探る。そこには概念の正しさは存在しない。哲学対話の実践やディベートで深いところまで思考の波を探求することができる。
学校教育の道徳で僕たちは何を学んできたか。
現代社会は複雑化しているという。その中でたくさんのことに触れ、知り合い、わかり合うことで年齢や世代、国境を超え多様な人々が行き交う場になっているのだろうか?
貧困は減っているが、格差は広がっている。そんな矛盾の問いに話し合いできているだろうか?
市民教育とは?
モラルとは?
自由の相互承認の原理と感度を育む教育にヒントがあるらしい。

本が好き!倶楽部
せいちゃん

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[ほんとうの道徳]





中学校では今年度から道徳の教科化に、




小学校では昨年度からなりました。




道徳は大切ですが、




どのように評価するのか、基準や尺度など




疑問視されています。




著者は原理的には道徳を授業化すべきではないと書いています。



道徳が教科化になったのは、



#滋賀県の大津市 の
#いじめ 
#自殺 事件 がきっかけだと言われています。



#絶対正しい道徳はない



ケースバイケースで判断できる力を身に付けることが大切です。




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私は道徳教育を学校ですべきか否か、どちらの意見も持たずフラットな立場で読み始めました。
ところが道徳について何も教えるなということではなく、今までの教え方を変えてはどうかという提案が分かりやすくなされていました。
道徳教育に力を入れている学校にも虐めがあり、授業が役立っていない現状があるそうです。
かたい話のようでとても読みやすく、細切れの時間に少しずつ読むにも最適、シンプルで親切な本です。

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必要なのは道徳教育ではなく市民教育、というのはまさに、と思います。
義務教育機関での学びでいちばん必要なものは一市民として生きていくための知識・知恵・態度だと思うのですが、
残念ながら現状それができているとは思えません。

いじめやヘイトに炎上、身勝手な正義感などが生じる背景には、
「いい・悪い」「勝ち・負け」「カーストの上下」など何でもかんでも立場を分ける世界が見えることにあり、
相互承認できる態度の育成のように集団の中でないと学びが難しいものを、
この本の中で取り上げられている「哲学対話」などを通して考えさせ、身につけさせて社会に送り出すことが、
「大人」といわれている側に求められているのだと思いました。

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著者は、現在、文科省が進めている「道徳」の教科化に懸念を示し、指導要領に書かれた「道徳教育」ではなく、「道徳教育」を「市民教育」へと転換するのが重要である、と本書で説いています。

その具体的な方法として、第3章において「道徳」の授業への導入を提案する「哲学対話」について説明していきます。この「哲学対話」とは、ネトウヨが憧れる「論破」といった低レベルの討議ではく、また、いわゆる「競技ディベート」のような、どちらが説得力があったかを競うものでもありません。両者が了解できる「第3のアイデア」を見出し合うことを目指すものです。この「第3のアイデア」とは、2つ目の「哲学対話」にあたる「共通了解志向型対話 (超ディベート)」に相当するものになります。

ここで、この「哲学対話」については、「子どもに哲学対話など無理であろう」という疑問が浮かぶと思います。しかし、著者によると、「多くの発達心理学者は、今、子どもはむしろ哲学に向いているし、哲学的な問いを好むものだと考えています」と説明し、実際に小中学生に実施した体験を実例として挙げています。

著者によると、この「哲学対話」には3種類あり、3つ目の哲学対話は「本質観取」と呼ぶもので、「さまざまな物事や問題の本質を、深く洞察して言葉にすること。『なるほど、確かにその考え方、言い当て方は本質的だ』とうなってしまうような言葉を編み上げること」だそうです。私は「哲学対話」を経験したことはありませんが、中学から行ってきた読書の動機が、この「本質観取」であったのだな、と感じます。「物事には本質があり、その本質にこそ意味がある」と感じてきました。私の小中学生の頃を思い出しても、小中学生でも十分に著者の提案する「哲学対話」により、生徒の哲学的な心性を育成することが可能ではないかと思えます。

また、第4章の「学校・ルールをつくり合う道徳教育」については、近年、社会問題としてニュースに取り上げられる「ブラック校則」を思い出しますが、著者はこのルールをつくり合うことこそ道徳教育において重要なテーマであると指摘します。それは、「道徳教育ーと言うより市民教育ーの基本は、『自由の相互承認』の感度をはぐくむことを土台として、多様なモラル・価値観の持ち主たちが、互いにより自由に平和に暮らせるためのコミュニティ (市民ルール) をつくり合う経験をたっぷり積むことにある」とするからです。また、「校則をなくせば風紀が乱れるというよくある意見については、実は真逆の実例がいくつもあるのです」と著者は本書で指摘しています。
このことからも道徳教育で、子ども達自身が校則を見直したり廃止できるようになれば、「ブラック校則」問題は解決できるのではないでしょうか。

最後に私の感想を付け加えたいと思います。

著者の言う「市民教育」とは、昨年、ベストセラーになった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』に書かれている、イギリスの中学校で教えられている「シティズンシップ・エデュケーション (市民教育)」のことで、「市民」として生きるために必要な「多様性」や「エンパシー」を学ぶことです。欧米で使われる「公共 (Public)」や「市民 (Citizen)」という用語が日本においては異なる意味に捉えられている、ということをまずは認識する必要があると思います。

日本において「社会」とは、通常、知り合いから構成される「世間体」や「ムラ社会」を指し、「市民」とは「社会の構成員としての義務を果たすもの」ではなく、「そこに住めば自然となるもの」と理解されているのではないかと感じています。ですから、欧米とは異なる日本独自と言える、新型コロナ感染における「自粛警察」や「感染者差別」などの問題や、「空気を読む」などの言葉に代表されるような「同調圧力」が社会問題化してしまうのではないでしょうか。欧米における「社会」とは、知人ではない多様性を持った「市民」がお互いを認め合い、人権を尊重して構成する「社会」のことを指しています。このような多様性を持った社会では、「空気を読む」という同質社会にしか通用しないルールは適用できません。このような多様な社会では、すべての「市民」の人権が尊重されるべきであり、「人種差別」こそが克服されるべき課題となります。

また、日本の教育問題に関して言うのであれば、日本の義務教育に特徴的なことは、欧米の義務教育においては「自分で考えて、自分の意見を言うこと」が重要視されるのに対し、日本の義務教育では「先生が教える正解を覚え、先生の指示に従って集団として行動する」ことが重視されているのではないかと思えます。
これは高校入試、大学入試を目指す、小中高校に一貫して言えることで、「記憶力重視」、「偏差値重視」の教育が行われてきたために、政治や社会への関心が低く、若者の政治参加や社会参加を「意識高い系」と揶揄される状況を生んでしまっているのではないかと感じてなりません。社会人になって直面するのは「正解の分からない問題」です。この時に要求されるのは、「問題解決能力」であり、「自分の頭で考える力」で、この能力が欧米と比較して著しく遅れていると思います。今回の道徳教育の改革により、著者の主張する「哲学対話」などの手法が取り入れられ、「考える力」を養う教育へと変わっていくことを願っています。

さらに著者の「市民教育」への提言をあえて補足するとすれば、ユネスコが推進する「GCED (世界市民教育)」と「ESD (持続可能な開発のための教育)」を取り入れていくことを忘れてはならないと思います。韓国政府はユネスコに協力し、学校教育において「GCED (世界市民教育)」を推進していく方針を示しています。ジェンダーギャップ指数が120位の日本では、「GCED (世界市民教育)」と「ESD (持続可能な開発のための教育)」を取り入れ、義務教育期間中から環境問題や人権問題についての意識を深めていくことが、世界的な潮流に乗り遅れず、時代遅れの日本ガラパゴスにならない、国際人の育成に必要なことではないでしょうか。

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難しい説明の後に、つまりこういうこと、と説明があり、優しい口調で語りかけるのでとても読みやすく楽しく学ぶことができました。一気に読み終わり、著者は同い年で驚きました(もっとご年配かと思いました)
著者の主張に共感しましたし、近代前の価値観で、村が盗賊に襲われても仕方ないと思っていた、という当たり前に衝撃を受けました。確かにそんなことが当たり前に行われていたのなら、人権なんて考えがなければ、悲しみながらも、こういうものだ、と納得していたのかもしれない。
たくさんのことに気がつきました。読ませてくださりありがとうございました!

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