春、死なん

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刊行日 2020/02/25 | 掲載終了日 2020/02/25

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内容紹介

老い、父と母、母と娘、男と女、「私」と誰か。
どれもありふれた光景のはずなのに、どうして、こんなにも新鮮なんだろう。 
――高橋源一郎 

蔑みながら羨む。母という女を娘は否が応でも生きる指針にしてしまう。
怖くて見られない心の奥を素手で摑まれた。 
――中江有里 


現役人気AV女優が描く「老人の性」と「母の性」、濃密な文章で綴られた衝撃作!

「春、死なん」
妻を亡くして6年の70歳の富雄。理想的なはずの二世帯住宅での暮らしは孤独で、何かを埋めるようにひとり自室で自慰行為を繰り返す日々。そんな折、学生時代に一度だけ関係を持った女性と再会し……。

「ははばなれ」
母と夫と共に、早くに亡くなった父の墓参りに向かったコヨミ。専業主婦で子供もまだなく、何事にも一歩踏み出せない。久しぶりに実家に立ち寄ると、そこには母の恋人だという不審な男が……。

人は恋い、性に焦がれる――いくら年を重ねても。揺れ惑う心と体を赤裸々に、愛をこめて描く鮮烈な小説集。


【著者プロフィール】

紗倉まな(さくら・まな)
1993年3月23日、千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。15年にはスカパー! アダルト放送大賞で史上初の三冠を達成する。著書に瀬々敬久監督により映画化された初小説『最低。』、『凹凸』、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』『働くおっぱい』、スタイルブック『MANA』がある。  

老い、父と母、母と娘、男と女、「私」と誰か。
どれもありふれた光景のはずなのに、どうして、こんなにも新鮮なんだろう。 
――高橋源一郎 

蔑みながら羨む。母という女を娘は否が応でも生きる指針にしてしまう。
怖くて見られない心の奥を素手で摑まれた。 
――中江有里 


現役人気AV女優が描く「老人の性」と「母の性」、濃密な文章で綴られた衝撃作!

「春、死なん」
妻を亡くして6年の70歳の富雄。...


出版社からの備考・コメント

校了前のデータを元に作成しています。刊行時には内容が若干異なる場合がありますがご了承ください。

※発売前の作品のため、ネタバレのレビュー投稿は極力お控えいただけますよう、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

校了前のデータを元に作成しています。刊行時には内容が若干異なる場合がありますがご了承ください。

※発売前の作品のため、ネタバレのレビュー投稿は極力お控えいただけますよう、ご協力のほどよろしくお願いいたします。


おすすめコメント

紗倉まなさんはAV女優として有名ですが、実は高校生の時から文芸誌を購入してきた熱烈な文学ファン。既に小説2冊、エッセイ2冊を上梓し、映画化されている作品もあります。 本書はそんな彼女の文芸誌デビュー作。独特の観察眼に、各紙誌から既に熱い視線が寄せられています。見逃せない才能のデビューに、ぜひご注目下さい。 ――担当編集者より

紗倉まなさんはAV女優として有名ですが、実は高校生の時から文芸誌を購入してきた熱烈な文学ファン。既に小説2冊、エッセイ2冊を上梓し、映画化されている作品もあります。 本書はそんな彼女の文芸誌デビュー作。独特の観察眼に、各紙誌から既に熱い視線が寄せられています。見逃せない才能のデビューに、ぜひご注目下さい。 ――担当編集者より


出版情報

発行形態 ハードカバー
ISBN 9784065185995
本体価格 ¥1,400 (JPY)

NetGalley会員レビュー

みんな持っているのにないふりをして、そんなものの存在すら知らないふりをしている「性欲」
特に高齢者の性はタブー視されている。

人間は、唯一生殖機能としてではない性交渉ができる動物。
年齢を重ねるにつれて本来の機能が削ぎ落され、最後に残るのが愛だとしたら
高齢者の性は愛しかないじゃないか。
だったらそれを求めることを咎める事なんてできやしないと思うけれど、世間はそれを許さない。
紗倉さんは、そういった世間や風潮の中で求めることが出来ない葛藤と、
抑圧された性を自分の体験談の様に違和感なく書き上げる。
生きる中で課せられた役割という鎧を1つ1つ丁寧に外して、
1個の人間としてもっと自由に生きていいんじゃないかと問いかける。
その切実でいて凄みのある筆致は、性と世間の波打ち際にいる紗倉さんしか書けない。

孫から再婚を大反対されたという女性が、
でも私はおばあちゃんである前に人間で、女なんです。
好きな人と一緒になって肌を重ねたいと思うことが、老人になったら突然悪いことになるのですか。
と訴えている、とある大学教授の記事を見かけて言葉を失った。
そうだ、おばあちゃんのいう事は正しい。
子どもから大人、老人になっても人間であることは変わらない。
別の生き物になったりしない。
変わってしまうのは人の意識の方なのだ。その意識のなんと残酷なことか。

これから高齢者になる私たちへの、紗倉さんからの痛烈なカウンターパンチ
1回このパンチを食らってほしいと思う。数十年経ったら、そのパンチできっと救われる。

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老人や母親の性というものには、なぜタブーの気配が漂うのでしょうか。
若い男女であったり、中年男性のそれであれば難なく受け入れられるのに。

昔、お世話になった80歳の男性に食事に誘われたことがあります。
店を取ってくれるというので任せたところ、集合場所に指定されたのはホテルの一室。
「静かな場所でゆっくりお喋り出来るように、ホテルのレストランから運ばせることにしたよ」という言葉に大変困惑しました…。
80歳になっても下心があるのか、当時の私には判断がつきません。
仮に行ってみても、最悪の事態になれば、おじいちゃんの一人くらいやっつけられるのではないかと思ったのですが、結局はお断りすることに。
万が一、何かあってはいけないと思ったのです。

『春、死なん』を読んで、ふと過去の出来事が蘇りました。

本書は、老人の性と、その家族の葛藤を描いた小説。
同時収録の『ははばなれ』は、物語同士の関連はないけれど、性(こちらは母親)とその家族という、同様のテーマで繋がっています。

物語には、妻を失った夫、親子、嫁姑、母娘、そして男と女。様々な人間関係と、その日常が描かれ、全員が葛藤のさなかにいます。
葛藤の後、彼らが何を得るのか、行く末をぜひ結末まで見守ってください。

著者の紗倉まなさんは、現役AV女優という肩書きの持ち主。
ただし、その肩書きに偏見を持ってはいけません。彼女の紡ぐ物語は、実に繊細に人間の内面に焦点を当てているのです。
本書でも、20代の著者が、高齢者や老いていく母親の性を現実的に描いていることには驚愕を覚えるほどでした。
特に母娘と嫁姑の描写は素晴らしい!
特に女性にオススメしたい一冊です。

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読み終えて最初に私たち人間が「求めていたモノ」とはなんだったんだろうと思えた作品。

読み進めるにつれ、早さも自然に上がっていき4日待たずに読み終えた

ストーリー全体に何か薄暗い印象はあったけれど、ところどころにちりばめてある言葉には考えさせられるものがあった。不器用さが残る富雄の姿にも共感するものがあった

「文系人気AVの頭の中がみえる?!」そんな一冊でした。

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これまで読んだどの本とも違う、皆があえて触れずにきた部分に焦点を当てた本。家族の『性』というものを考えさせられる一冊です。

文章からは繊細な心の揺らぎが感じられ、しっとり湿気を帯びてそれがとても人間らしい。『性』というものを題材にしているのに、それは艶めかしいだけのものではない。人物の心の内のもやもやを、現実とも妄想ともとれる不思議なもので抽象的に表現されている。人間の心の揺らぎはまさにそういうものだと思う。

生物学上あって当然のものを、身近な人に関しては見ないようにしている私たち。 年をとっても...いや、年をとったからこそ自分のそして家族の『性』というものと向き合い『生』を考える。 見てはいけないものを見たような、それでいて知らなければいけないと言われているような、そんな衝撃があった。

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死んでいたように生きていた老人の再生を綴った物語

私のおじいちゃんは私が産まれた時からおじいちゃんで、カテゴリー的には男性ではなく老人のくくりだった。
異性ということもあり、知っているようでよく知らない人。
本作の主人公、富雄もまさにそんな人である。
妻に先立たれ孤独と寂しさをもてあます日々。
しかし変化のない毎日は、大学時代の女性に再会したことで一変する。
この小説を読むまで、孤独や寂しさは女性特有の感情だと思っていた。
男性は強い、独りでも大丈夫、だから一度誓った愛を死ぬまで守って欲しいとも思っていた。
しかし妻を亡くした富雄はいつも寂しさに震えていた。男性だって寂しいものは寂しい。
そこに大した理由や理屈なんてものは存在しないのだと気付かされた。
本書は50代以上の男性に強くお薦めしたい。
この本は時に悲しみを連れてくるかもしれないが、富雄の心の叫びは閉じ籠っていた殻を破る勇気をくれるだろう。
私もいつか必ず訪れる伴侶との別れ、もし祖父母や両親に二度目の春が来てしまったら受け入れられなくても、認めてあげたいと思う。

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これでも、いいんだ
と、自分自身を振り返って、
自己承認ができました。

高齢者の男性と、中年の女性が主人公の2話が収められています。
佐倉さんらしく「性」を主人公にした小説。

読んでいる最中に田山花袋の「布団」を思い出しました。

好きなフレーズは以下です。
□ 俺は無意識のうちに、生きていること自体に膜を張っていたというのだろうか。
□ 見たくもないものを見ないようにするために。知ることで自分を傷つけないようににするために。

私のように、二十歳を過ぎた子供がいる年齢では、近未来のことと
受け取れるけれども、子供の年齢では、この本をどう受け取られるのか。
でも、
そんな年齢の紗倉さんが著したのは、すごいことですね。
ちゃんと、お年寄りにも接しているように、思います。

私は、経済小説とビジネス書が主たる対象なのですが、
久しぶりに、とっても頭で描写しながら読めた小説でした。

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老人と性。この組み合わせに、どこか違和感を覚えたのは、まだ私は「老い」を意識していないからなのだと少しばかり安堵した。

 著者は、現役AV女優という経歴を持ち、既に映画化された作品を生み出している若い小説家である。性を生業とする彼女が紡ぐ言葉は、老いと性を離すことなく届けてくれる。

 私たちが性を語るとき、この作品の老人のように、世間の目や羞恥心から逃れるため、感情の蓋を閉じて、欲望を内に秘めている。また、他人と関わりあうことで生じる様々な衝突を避け、孤独を知らず知らずのうちに求めてしまう。

 満ちては欠ける月のごとく、満開を迎えては散りゆく桜と同様に、性への衝動が自然なものであると受け入れられたとき、人は穏やかに果てることが出来るのかもしれない。

 これから老いを迎える人、私自身を含め老いと性がミスマッチだと感じる人に、この作品を読んでもらいたい。

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一話目には父と息子、二話目には母と娘が登場する本作品。
世間一般ではタブーとされている高齢者の姓をテーマにしている。
こちらの方に皆興味を持つかもしれないが、私は二話目の母と娘の異様とも言える関係性に惹き付けられた。

作中の母は、いつも娘を頼り、その一方で娘の気持ちを無視した言動をくり返す。
そんな母を当然のように受け入れてきた娘は、いつしかそんな母を負担に感じ始める。
それでも娘は母への依存を絶ちきれず、離れられない。

私はこの母娘に、共感できないし嫌悪感さえ覚える。
なにしろ私と母は真逆の関係で、母に縛られるストレスなど感じたことがないからだ。
だからこれは、娘に対するもどかしさや、苛立ちから来る嫌悪感なのだと思う。

それにも拘わらず読みたくなる。
いったいなぜなのか。
認めたくはないが、これが昨今世間を賑わしている不倫報道などにむらがる感情なのだ。
最後を見届けたい、とページをめくる手を止められない。
主人公を哀れみながらも、好奇心が勝ってしまう。
けれど、この中毒性こそが本作の魅力なのだ。  

そういうのは嫌い、とても理解できない世界だ、そう思っている女性にこそおすすめの作品だ。
読めば、自分の中に潜む新たな自分に気づくはずだ。
これは小説の中だけの話ではない。

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いよいよ妻と第二の人生を送ろうとしていた主人公の富雄が、妻に先立たれ、どこか虚しい生活を送っているところに思いがけず色々な事が起こり、自分自身をさらけ出すことに!?
富雄はずっと波風立たぬよう殻をかぶって友人にさえもあまり主張せず生きてきたのだろうと思う。
富雄の生き方が私自身の幼少期の頃と重なった。
私の両親は共働きで、週6日私を保育園に預けていた。保育園での毎日の給食に時間がかかり過ぎ、お昼寝の時間も1人食堂に残され電気も消され気付けばおやつの時間。ずっと食べさせられていた私は家での夕食にも、かなり時間がかかるようになっていた。家でも保育園でも早く食べるようにと叱られ、食べることが苦痛になっていたが、自己主張出来ず、メソメソするばかりだった。
しかし、小学校にあがる少し前、いつものように夕食に時間がかかり母に外に放り出されたとき、思わず怒って叫んだことがあり、その時いつも黙っていた父が母を諫め私をなだめ家に入れてくれた。
あの時の私は、お嫁さんに助け舟を出してもらえた富雄ときっと同じだったのだ。
みっともない姿も身近な誰かにさらけ出せた時、身軽になって楽に生きられる。私と同じように心が抑圧という鎧になってしまった人に是非読んでほしいと思います。

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見過ごされてきた営みとしての性。
長年連れ添ってきた伴侶を亡くした男女の営みとしての性が描かれている。
伴侶を喪った当人としての視点で描いた表題作「春死なん」。同じく伴侶を喪った女性の性を娘からの視点でとらえた「ははばなれ」の中編2作。
喪失感と老いゆく身体にとまどいながらも生物としての欲求と心情的な葛藤が赤裸々に描かれている。生々しい感情がむしろ淡々と綴られており、より実情に沿ったリアルとして迫ってくる。
意識して見過ごしてきたわけではないのだが、描かれることが少なかった老いてからの性のとらえ方を著した作品。

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「青春」春に生まれ、恋をし、
「朱夏」夏に活動し、
「白秋」秋に静かに澄み渡り、
「玄冬」冬に弱り死ぬ

古代中国では、人生を季節に例えるらしい。

60歳からが秋とのことだけど、
60歳で落ち着いて、あとは枯れて冬に死んでいくなんて、
古代ならそうだけど、現代人の我々には長すぎる!

じゃあ、これから老いる私たちはどうすればいいの?

紗倉まなさんの「春、死なん」を読んだ。

妻を亡くして孤独に生きていた70歳の富雄が、かつて一夜を共にした同級生の女性と出会って、長く忘れていた恋心を通わせ合う物語。
70歳は、白秋にあたる。

この白秋真っ只中の老人の恋心や性欲を真正面から描く物語に、私は見ぬ振りをしていた部分を素手で掴まれたような居心地悪さを感じながらも、不器用な富雄から最後まで目を離せなかった。

人生の季節は、冬が来たら終わりじゃない。

たとえ人生の冬がきても自分の恋や性欲の存在を認め、自分の殻を破った時、再び春はやってくる。

老人らしくなんて、気にしなくていい。

これから老いる私たちへ
自らの殻を打ち破る勇気をくれる作品です。

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「春、死なん」噛みしめるように読んだ。自分より随分と年上のしかも異性の性の話だったが、これから何十年か後にきっと経験するであろうと確信した。自分を思った。夫を思った。息子を思った。切なかった。誰しもが歳を取るのに、何故老人の性を嫌悪してしまうのだろう?でも、それを若い作者が、まるで、隣で見聞きしたかのように代弁してくれる文章に何故か感謝したかった。

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住野よる先生が、『最低。』を絶賛されていたので、気になっていました。

"性"が色濃く出た作品だな、と。

それと、家族だからといって
無条件に全て受け入れられる、
愛せるわけではないんだなと痛感しました。

親が絶対に子どものことを
好きで大切に思ってるなんて、
理想なのかも。

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最近偶然にも映画化された『最低。』を知り、読んでみたいと思っていたところに本書と出会った。
 『春、死なん』は男性の立場から老いと性。『ははばなれ』は、女性の立場から自分の性に対するアンビバレントな感情を描いている。いずれの作品からも生きる、生きていく中でついてくる性の尊さとやるせなさを感じた。同時にこれまで視界の隅で捉えながら見ないように、考えないようにしてきた生々しい部分を突きつけられ、少し怯む。
 現役のAV女優だからこその内容だったのではないかだろうか。いや。AV女優の肩書きは作品の内容を測るのには必要ない。AV女優という立場から見えてくる部分も多くあると思うが、読み終えた後、著者の視線の鋭さと、筆力にただただ感心し、自分の感情を反芻している。

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"老いと性"をテーマにした表題作「春、死なん」は、私の思考のスイッチを入れてくれた。この組み合わせは、世間体としてあり得ないのだろうか。

人生の折り返し地点を通り過ぎた私。自分よりも遥かに齢を重ねている主人公の富雄。彼が老いと衰えることがない性欲の間で葛藤する姿を、将来の自分に重ねてみた。私は世間体を気にするだろう。

富雄のある言葉がこびりついて頭から離れない。それは己の性欲と真っ正面に向き合ったからこそ出てくる、世間体など糞食らえの強烈なメッセージだった。

世間体と本音。誰もがその間で思い悩む。特にタブー視されがちな性であれば尚更だ。この作品は、その問題に一石を投じて解放感を与えてくれる。

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妻に先立たれ、息子夫婦と二世帯住宅で暮らしている主人公、富雄。
二世帯住宅と言っても、それぞれの生活が守られていて交流はなく、彼は一人静かに暮らしている。平穏で不足はないように見えるけれど、その胸に秘めた欲望、感情はある。
富雄が抱えきれなくなった「本当」を垂れ流す度に、私が思い出したのは、母が泣いている姿だった。

まだ私が学生だった頃。
両親は「父」と「母」で、それ以上でもそれ以下でもなかった。その母が、ある日父との些細な喧嘩で娘の私の前で涙を流した。
きっとあの涙は、「母親」という役割を一秒たりとも忘れずに全うしてきた母が、初めて娘の私に見せた隙だった。そしてその隙に私は「母も同じ人間なんだ。女なんだ。」と強烈に思い知らされた気がした。
その時何故だか私は少し安心し、これからは母と「女同士」として話をしたいと思えた。

命を生み育む過程で人は「親」という役割を全うしようと、時には自分の本音を押し込めて役割を演じ、時には溢れ出しそうな感情を必死で堪えて微笑む。
けれど、親子の関係も年を重ねるごとに変化していい。親という役割を脱ぎ捨て、互いの弱さも情けなさも曝け出し、本当はただの人間同士なのだと認め合ってもいいはずなのだ。

私が母とただの「女同士」として向き合おうと思えたように、富雄も「父親」としてでも「祖父」としてでもなく、一人の男として、ありのままの自分で家族と共に生きていけることを願わずにはいられなかった。

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重大な出来事を体験することで受けるストレスの強さを点数であらわした、社会再適応評価尺度「SRRS」というものさしがある。
 これは人が体験により生じた変化を乗り越え、再び適応した状態に戻る労力の重みを調査し、点数化したものだ。
 『春、死なん』の主人公富雄も、配偶者の死という重大な出来事を体験し、心身のバランスを崩した。
 生きる価値を見失った消化試合の日々と裏腹に、生きようとたける身体。その狭間でもがく富雄の心象が丁寧に描かれており、のめり込むように読んだ。
 SRRSの年間体験ストレスの和が300点を超えると、80%の確率で健康障害が生じるという。だが、心身に影響が出ない人たちが20%はいるのだ。
その人たちに共通するヒントが、本書にはちりばめられていた。
 これからむかえる春は、大きく生活環境がかわる季節。新しい扉を叩く人に、ぜひ読んでもらいたい。

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著者の名前を見て少々どぎまぎした。
私が知る限りでは、彼女はAV女優という認識しかなかったからだ。
そういった浅い情報だけで作品のイメージを勝手に作り上げることは良くないと、読み終えた今思っている。
紗倉まなさんは27歳。
若い世代の彼女にとって、まだまだ先のイメージであろう高齢者の今を描く。
主人公は妻に先立たれ毎日孤独感に苛まれるおじいちゃん。
ちょうど私の親の世代だ。
生きる希望もない鬱屈した主人公富雄が、数々の出来事によって、不器用ながらも生きる意味を見出していく。
作中に「きさらぎの望月」という箇所が出てくる。
2月の満月は、しし座満月と呼ばれる。
しし座はリセットと再生を司る星座で、この期間に人は自信を取り戻し、決断を促すのだそうだ。富雄の姿は、まさにリセットと再生だったのではないだろうか。
私は小さい頃から歳を取ることは衰退していくことと思っていた。
しかし本書によって、その考えを変えた。
衰退なんてとんでもない。
高齢者から見る未来は、若い世代の著者や中堅世代の私と何一つ変わらないんだ。
こんなことを思わせてくれたのは、本書を通じて著者の未来が「希望」に溢れているからだと私は思う。

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何かが蠢く。本。

気がつくとこの部屋にいて、
膝を抱えて座っている。
一人でいる時は、
夜が自分サイズに圧縮するのがわかるからだ。

「春、死なん」を読んだ。
自分の中に蠢く何かを感じる。
細胞が開くように鳥肌が止まらなかった。

圧縮した部屋を見渡す。
人は常に孤独の中にいる。
夜光虫のようにポツンと。

掻き毟る記憶が加速して、
黒い衝動が駆け巡る。

老いと生きる人間は、
満月と新月のようだ。

この才能に畏怖さえ感じた。
大好きな作家です。

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家族の中で男女は、夫、妻、息子、母親、祖父といった役割を負います。

しかし役割は人のもつ一面でしかなく、一人ひとりがその役割を使い分けながら、危ういバランスで成り立っているのが家族です。

母親や父親は親という生きものではありませんし、家族というだけでは大切なパートナーの理解者にはなれません。

にも関わらず、関係の崩壊を恐れて良い家族であろうとすればするほど、
いつしか家族や自分を役割でしか見られなくなっていくのです。

わたしも「手のかからないひとりっ子」でいることを期待され、そうあろうと努めたことがありました。
そのときの自分を無視するような感覚を今も覚えています。

人は誰の家族であっても「ただの自分」でしかありません。

そんな思いを捨てられない登場人物たちは、それぞれのやり方で「ただの自分」を取り戻していきます。

わたしもそれでいいのだということを、この物語は肯定してくれるはずです。

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世の大半の人は自分に割り当てられた多くの役割の意味を考えるより、ただ果たすことだけに忙しい。
そして、それに砕身するあまり本来の自分を見失い、自己を消耗して行く。
容易に立ち切れないしがらみもあるが、それのみに囚われてしまう人生はあまりにも虚しい。
年をとり、果たすべき役割から離れたとき、自分の中には何が残っているだろう。

主人公は一般的な男性。
夫、父親、社会人としての役割を順調に果たし、3世代が同居する新築の二世帯住宅で「しあわせな祖父」の役割で余生を過ごす中、妻に異変が起きる。
役割からの解放を願う妻に気付かないふりをし続けた結果、彼には途方もない孤独が残った。

「春、死なん」
本書の題に使われている西行法師の有名な歌の一部だ。そして彼は役割にしばられて生きることの虚しさを他の歌に詠んでいる。
「身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ」

これこそがベースラインであり、役割に囚われた者の感じる孤独や絶望感は、「自己を失うことなく役割を果たすこと」に救いがあると示す。
自分の意思で自分の人生を生きることの重要性を、主人公が強く伝えている。

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子どもの頃、両親は「お父さん」「お母さん」という存在で、二人とも性的な匂いを一切感じさせなかったこともあり、男性、女性としてはあまり意識することのない家庭で私は育ち、大人になった。
けれど、当たり前だが、大人になれば親だって男、女、ということに嫌でも気付く。その頃には、私は、そのことに目を背け続けるしかなかった。とても強固に「触れてはいけない」タブーとなっていたから。
そんな人にこそ、ぜひ読んでもらいたい。本当は訊いてみたかった親や老人の性が、しっかりと、それでいて優しく描かれていて、心のもやもやを払ってくれるはずだ。
私は違う、こうはならない。今はそう思っていていい。でも、皆等しく年老いる。いずれ来る老いに向けて、心と身体の心積もりをさせてくれる作品だ。

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”現役人気AV女優が描く「老人の性」と「母の性」”とあるわけだが、人は、生殖以外の目的でセックスに対峙しているので、年老いてもそれなりの性衝動を抱えて生きていく。それが自然なことなのだと再確認させられた一編である。
私は、そのことよりも母と一人息子、母と娘、男としての夫と女としての妻などなどの緊張をはらんだ関係がテーマなのではないかと思うのである。血のつながりというのは生殖としての性を介在にしているのである。
それに較べると性を介在としない姑・舅と嫁の関係の方があっけらかんと描かれる。

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二世帯住宅に、息子夫婦と一緒に住んでいるおじいさんが主人公。
ですが私は、主人公を息子と間違えるぐらい、息子のキャラクターが強烈で、
ホラー小説かと思ってしまいました。

特に、息子が母親に放った一言。ここを読んだ瞬間手が止まり、ぞっとました。
一体何を考えているのかまったく想像がつかないくらい衝撃的で、
鳥肌が立つ、とはこういう感じかと思いました。

そして読み進めるうちに、もしかしたら自分もそんな発言をしたことがあったんじゃないか?
実は私は息子と同じかもしれない。と思うようになり、さらに怖くなりました。

何気ない一言でも、知らないうちに相手を傷つけてしまうことがあるから、
きちんと考えてから言葉を届けないといけない。
私にとって反面教師のような本で、家族や周りの人を大切にしようと思うきっかけになる本。

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わたしがもしも作家だったとしたら、この才能が恐ろしくてしかたないに違いない。嫉妬してたまらないかもしれない。本業が小説家ではないのに、そしてまだ26歳という若さで初めての純文学として本作を書けてしまうという才能。天は二物も三物も与えたり。
表題作「春、死なん」のテーマは、老後の性。妻に先立たれひとり残された老人の悲しみや喪失感を描きながら、一方で世間の求める「老人像」に対しての違和感と孤独の中で増幅する行き場のない彼の怒りを、そして70歳でもひとりの人間として生きたいという、生と性への執着を容赦なく露わにする。
老人の性欲は残酷で悲哀を持って描き出される。けれど覚悟を決めてそれを直視する瞬間、老人が人間へと変化するのが鮮やかに見える。26歳とはどう考えても思えない見事な筆力に圧倒。今後がとても楽しみだ。

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