展望塔のラプンツェル
宇佐美まこと
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刊行日 2019/09/19 | 掲載終了日 2020/09/19
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内容紹介
★★★第33回 山本周五郎賞ノミネート作品★★★
多摩川市は労働者相手の娯楽の街として栄え、貧困、暴力、行きつく先は家庭崩壊など、児童相談所は休む暇もない。児相に勤務する松本悠一は、市の「こども家庭支援センター」の前園志穂と連携して、問題のある家庭を訪問する。石井家の次男壮太が虐待されていると通報が入るが、どうやら五歳児の彼は、家を出てふらふらと徘徊しているらしい。
この荒んだ地域に寄り添って暮らす、フィリピン人の息子カイと崩壊した家庭から逃げてきたナギサは、街をふらつく幼児にハレと名付け、面倒を見ることにする。居場所も逃げ場もない子供たち。彼らの幸せはいったいどこにあるのだろうか―。
選考会は9月17日予定
社会問題をミステリーとして描き上げ、物語は「衝撃のラスト」へ……!
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おすすめコメント
現在、第33回山本周五郎賞にノミネートされています。
3つの物語が絡み合い、物語は衝撃のラストへ!!
現在、第33回山本周五郎賞にノミネートされています。
3つの物語が絡み合い、物語は衝撃のラストへ!!
出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784334913045 |
本体価格 | ¥1,700 (JPY) |
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NetGalley会員レビュー
重い。けれど確実にこのような現実が存在している。今こうしている時にも。家に帰れない、居場所のない人たち、自立するにはまだ幼く庇護されなければならない立場なのに守ってくれる親はない。公的な存在が適切な力と保護力を持つのはまだ時間がかかるのか。
これってミステリー?って思いながら後半まで読み進めました。親からの虐待やネグレスト、不妊治療など三つの話が並行して進んで行きどれも重い展開です。特に性的虐待の所は少し気が滅入ってしまいました。それでも児童相談所の仕事に大変さや虐待を受けている子供たちの心内は、普段ニュースで報じられる一面だけでは分からない事ばかりだし不妊治療についても同様です。そして最後30ページぐらいになったころ。え〜そうだったの?このトリック分からなかったです。読むのが辛くなる所もたくさんありますが、物語の行く末は爽快です。
虐待のニュースは後を絶たないし、児相の不手際や情報共有不備が取り沙汰されることもある。でもそこに関わっている人の大変さを良く知ることができた。生まれた環境によって、未来の選択肢がほとんどない社会は閉塞感で押しつぶされて、希望が持てないし、社会の発展も見込めない。せめて自分にできること、人ごとと思わず周りに関心を持つことをやっていきたい。話の終わり方も救いがあってよかった。
暗くて重くて何度か読むのをやめようかと思いながら一気に読みました。知ってる時代が重なり合って、どこがどう繋がるのか、わからずに、様々な登場人物に感情移入しつつ違和感なく読み進み、最後に、あっ!そうだよね、そういうことか!と。最近聞かないけど、若い頃、よく耳にしたサービス業態が出てきたりして、じっくり読めば、もっと早く気づけたはず、しまった、なかなか、やるなと思える小説でした。
(.女性の立場から、違和感があったところもありましたが、すでに忘却の彼方。)
多摩川の向こう側について、実は数年前の中学生の事件が起きるまで全く知らず、その後事件にまつわる本を読んでようやくテレビでは取り上げられない部分まで見えてきて非常に驚いた。この作品はフィクションだが、登場人物のような子たちはきっといまもいる。いるけれど、なかなか見えてこない。そして、児童相談所の職員さんたちのように懸命に働く人もいて、けれど誰か一人でも命が失われると声高に責められる恐怖がそこにある。責めることより担うことを、もっと多くの人がしていかなくては、つぶされる人、はじかれる人、はみ出す人が減ることはないのだろうと思う。
児童虐待、性的虐待、さらに不妊治療、読んでいて辛くなる。望んでもいない親に生まれ、望む親には生まれない。いくつかのストーリーが最後に絡み合う。あらためて、グリム童話の「ラプンツェル」のストーリーを調べてみると、この小説のベースに巧みに取り入れられているのが分かる。救いを差し伸べる長い髪は、作者の思いなのだろう。
児童虐待、貧困、性暴力、人種差別、不妊治療…
なぜこんなにひどいことばかりが起きるのだろう、と何度も詰まりながら読みました。
だけど、最後まで読み終えたときにはそんな思いもこの結末を迎えられたことで吹き飛びました。
あの過去を乗り越えてきたから今の彼らがあって、
生きていさえいれば、いつか笑えるときは来るんだなと救われる思いでした。
児相で働く悠一、過去の事件が原因で子供を産めないナギサ、不妊治療に苦悩する郁美、と
この3つの視点で物語を読めすすめていくことで、どれほど望んでも子供をもてない人がいて、
一方では望まない妊娠があり、望んで生まれたはずの子供を傷つけてしまう親がいること、
両者の上手く噛み合わない現実に歯がゆさを感じました。
児相の過酷な現場は衝撃的でした。
精神を削り、身体を張り、いつでも矢面に立って子供たちを守り、親たちと向き合う日々は修羅場そのもの。
親たちからどんなに罵声をあびせられようとも、決して敵ではなく、味方であらねばならないなんて…
信念であったり、何かしらの理由でもなければ続けられる仕事ではないのだろうな…
だけど、彼らの救いの手が差し伸べられることで不幸の連鎖は断ち切られ、
多くの子供たちが自分の人生を取り戻すことができるのだと強く心を打たれました。
虐待の連鎖や貧困の連鎖という負の連鎖が胸に痛い。社会の歪みといって片付ける程、簡単に割り切れないものを感じる。ページをめくる手が徐々にゆっくりとなり、ついには止まってしまうほどに子供の虐待が遣り切れなさをおぼえる。そこには合理的な思考もなく、ただ単に感情のままに暴力がはけぐちとなる現状がある。それが日常になっていくことに違和感を感じないことこそが負の連鎖のもたらしたものだ。この連鎖を断ち切るラプンツェルになるのは容易ではない。が、人の意志こそが希望へとつながる。我々は諦めるわけにはいかないのだ。ヘヴィーな展開が最後まで続くが、3つの物語が溶け合っていく最後の最後で救いと希望が見え、読んでよかったと思えた。
辛くてしんどくて痛くて悲しいこと満載。
こんなにしんどいのに一気読み。
そして最後ちょっとホッとする。
でも、児童虐待も性暴力もネグレクトもなくならない。
不妊治療における精神的なケアは出産後も必要な気がするし。
人間はおろかで悲しい生き物だと思わされる、
それでも、強くてしなやかで優しさも持っている。
そう思える作品でした。あー、泣いた。
#NetGalleyJP
モデルとなった地域は何となく知っています。ネグレクト、虐待、外国人、貧困、それらを宿す土地の歴史的背景、そして物語全体に影を落とす社会情勢。これはフィクションですが膨大な量と時間をかけて調べ、取材して書かれたのでしょうから、厳しい現実の一端を知り、衝撃を受けました。
群像劇で、フォーカスされる人物たちはみな、同じ町でそれぞれの立場で答えのない苦悩を抱えて生きています。彼らの行く先が気になって一気に読み進めました。これでもかと追い詰められてしまう子供たちに何度も胸が苦しくなりますが、この物語にはきちんと救いが用意されています。
読んでいる最中に違和感を感じていた部分もスッキリと解消され、また、登場人物たちに対する著者さまの愛情を感じる納得のラストでした。
ここに書かれていることはフィクションである。だが、現実として同じようなことは日々起きている。止まらない児童虐待、疲弊していく福祉の現場。決して他人事と思ってはいけない。この物語は全力で読む人にそう訴えてくる。
しかし、過酷な現実を見せつけるだけではない。伏線を見事に回収した後に見えてくる景色に救いを残してくれている。
大変重たい内容の作品でした。児童虐待、貧困、下層社会、日本の社会の中でどうすることもできない暮らしや状況から抜け出せない人々。作者の筆は、そんな人々の生きざまを描きながらどんどん読者の心を引っ張っていく力がありました。なぎさの置かれた救いようのない日々、海との出会いで救われたかのように見えた先に待っていた現実。繰り返される幼児虐待の連鎖。児童相談所の職員の疲弊感。日本の今の社会を切り取り、ある種淡々と描いてある。過去と今を上手にはめ込んだ物語の進め方も巧みです。最終章に入りその流れに気が付かされうなりました。最後には今後への希望が感じられ救われる部分もあり。ただ、レイプ場面の執拗な描写が薦める年代を選ぶ本だとは思いました。
宇佐美まことさん、長編は多分初読み。帯から、タイトルのグリム童話ラプンツェルとは違う物語なのだと想像してはいたけれど、こんなにも心が震えて、この物語を読み終えると思わなかった。壮絶なDV、貧困、人権問題など、胸をえぐられる想いで読んだ。中盤で、ラプンツェルの意味がわかり、少し希望もみえてきたのに、何度も宇佐美さんに裏切られ、してやられた感じ。お見事。
子供の虐待から始まり、家庭とは何なのか。そして日本社会のひび割れから目をそらすことなく書ききった作品だと思う。重いテーマで、1ページ目をめくるのに時間がかかったが、読み始めると止まらずに332ページを一気に読んだ。
底辺の街でその日暮らしの荒んだ男女の間に生まれた子供。教育どころか、最低限の養育すら放棄され、親のストレスのはけ口として暴力を振るわれる。一方で子供が欲しくて不妊治療に必死な夫婦。未来の見えない街から逃れ、人間として尊重される暮らしがしたいとささやかな望みを持つ若いカップル。それぞれ関わりのない人生が、物語が進むにつれてすれ違い、重なり合ってゆく。
これは果たして架空の物語だろうか。読み終えて自分に問うた。「貴方は、私はどうするか」作者が問いかけてくる。現実を考えた時、物語よりもやるせなさに押しつぶされそうになるが、答えを出す努力を惜しんではいけないという気持ちになっている。
重いテーマだが高校生くらいから読めるのではないだろうか。いろんな世代に手に取ってもらいたい。
久しぶりに読んだ宇佐美さん、さすがでした。虐待、ネグレクト、性暴力、差別、貧困、1つでも辛いのに複数の苦痛の中で生きなければならない子供たち。狭い世界で親から子へ負の連鎖は続いていく。読んでいてとても辛かった。大切にされない子供がいる一方で望んでも子供を得られない人もいる。世の中のやり切れなさを痛切に感じました。時代的な違和感は少しあったのですが、後半までそうとは気付かず、あ、そうだったのかと驚いたけれど良かったです。
子供に対する虐待、ネグレクト、家庭内暴力。さらに人種差別問題。世間にはどれだけ苦しんでいる子供たちがいるのだろう。どれだけの子供たちの叫びを世間は聞き取ることができているのだろう。口を閉ざす小さな体を思い、読んでいる私まで体のあちこちが痛くなる。不妊に悩む主婦の心の叫びもリアルだ。望んでも望んでも手に入らないものがそこで痛めつけられているという実態。歯を食いしばって読み進んだ先にミステリのご褒美が待っていた。ほっとした。児相にも限界がある。一般の私達こそ、大きく目を開いて見えるものをちゃんと見なくてはいけないのだろう。
児童虐待、暴力、凌辱と、辛く苦しい場面が多く、ずっと息を詰めて読んでいたようだった。読後、ふーっと息をついた。
これはフィクションだけどフィクションと割り切ってはいけないと思う。似たような状況にある人々が世の中にはいるのだとヒシヒシと感じられる。それが、3つの時間軸を絡ませて描かれている事で、時代が移っても変わらず解決していない難問なのだと思い知らされる。
でも、ハレが逃げずに成長したこと、ナギサが街に残って飢えたこども達のために活動していることに希望がみえたと思った。
自分には、見ようとしなければ見えなかった世界だったからこそ、たくさんの人に薦めたいと思う作品でした。
舞台となる町は、多摩川市。
荒んだ町の児童相談所が取り扱う案件は、貧困、ネグレクト、虐待、暴力・・・・・相談員は息をつく暇もない。
目を覆うような悲惨な状況に置かれた家族たちが登場し、その視点から語られる。
子どもが欲しくてもできない夫婦もいれば、子どもを授かったのに育児放棄をしたり、虐待をする親もいる。
ナギサとハレは一体どうなったのか。
何となく違和感。
登場人物が絡み、繋がってゆく。
最後にほっこりなサプライズ。
「お前の人生はお前のものだ。逃げるなハレ。」
カイの言葉を生かしたハレ。
よかったね。
感想を一言で言うならば『疲れた』に尽きる。あまりにも辛い内容だった。本当に辛くて途中で何度読むのを辞めようと本を閉じたことか。こんな話が実際にある事を思うと何とも言えない感情にみまわれる。この悲惨な状況に世の中が追いついていないのが残念でならない。人員不足、予算不足、地域社会の意識の低さ…。辛い内容ではあるが現実に起こっているであろう事を物語としてでも目を背けずに知る事で小さな声でも一人ひとりが上げていかなくてはならないと痛感する。
世の中は何故こんなに不平等な世界なのだろう?
そんな事を思わずにはいられなかった。虐待、ネグレクト、不妊。世の中の大半の人がいわゆる普通の生活が出来ている中、辛いだけの日、抜け出せない日々を送っている人がある一定数いるのだろう。幸いなことに自分には無関係でここまで生きてきたけれど。小説の中だけの出来事であればいいのにと願った。
圧倒的にアウトロー。目を背けたくなる様なあらゆる暴力が蔓延る世界。一番怖いのは“これはただのフィクションだ”と思ってしまう事。生きる術も知らない子供達が本能で虐待を耐え抜く様を読むのはとても苦しく、途中で何度か躊躇ってしまう程の緊張感を味わった。児相職員の過酷な環境も浮き彫りになっていて、世に出る極一部のイメージが更に人員不足の負の連鎖に繋がり、どんどん頑強な鎖を生んでる気がした。物語としては最後に僅かに射した光にただただ安堵した
子どもが置かれた悲惨な状況に読み進めるのがつらかった。だけど読後感は不思議と明るい。「いつかラプンツェルが助けてくれる」というおとぎ話を信じてようやく生き延びてこられた子ども。彼が子どもを救おうと動いていることに、一筋の光を感じる。負の連鎖があるように、救いの連鎖もあるのだと信じたいと思った。
ラストの展開については、まったく気づかず……たしかに、よくよく読んでみれば気づくような描写が散りばめられていた。なんとなく悔しい。
劣悪な環境で育つ子供達。虐待・ネグレストなどに晒される子供達を日常的に目にする仕事のキツさを思った。海・ナギサ・晴の3人は、それぞれに問題を抱えている。自分を守ることで精一杯の彼らが、次第にお互いを気遣い生きていく。
子供達の未来と、それを取り巻く様々な大人達。物語の終盤、時間軸が大きく動き、散らばっていた物語のパーツがハマり始める。ラストには、それぞれが掴んだ未来が待っている。
物語ではあったとしても、ネグレクトもしくは暴力を受けて育った過去のある子たちの話を読んだ時、そうではない環境で育った自分は現実にも起こっているそれらをどう捉え、考え、思い至ればいいのか展望塔のラプンツェルを読んで悩んだ。
可哀想とか自分はそうではなくてよかった、などというのではなく何か他に彼女彼らの心情を思うことが大事なのではないかと。
また今作では被害者側ばかりではなく加害者側の気持ちにも寄り添う表現が出てきて、そちらもまた考えることとなってしまった。
この問題は本当に根深いのだと。
解決なんてえるのかと。
哀しい苦しい、だけど未来がある、っていうおわり方で全然よかったのに(当社比)、えっ?どゆこと?と一捻りある転換に宇佐美さんの一筋縄ではいかない感を味合わせて頂きました。
貧困は連鎖する。そして、そこには虐待、暴力、ドラッグなど、様々な要素がからまり、そこから抜け出すことは、なかなか難しい。この物語は、そんな世界でしか生きられない人たちを描いている。途中、救いようのない出来事の連続に投げ出したくなったが、最後まで読んで良かった、と思えた本です。
東京近郊にいると外国人(という書き方が良いか悪いかは置いておくが)の方々は生活の中でも違和感が無くなってきているが、やはり人種差別というものは存在する。容認するつもりはまったくないが、異質なものとして見てしまうのだろう。ちょっと人と違う考え方や動き方をすると目をつけられるのと同質か。
本作のメインはそこではなく児童虐待。
フィリピン人とのハーフ海(カイ)、性虐待を受けてきた那希沙(ナギサ)が児童虐待を受けていると思われるが、全く言葉を発しない少年(幼児)と出会い、ハレと名付け「晴れの海の渚」と3人の接点を表現し、共に時間を過ごす。
また児童相談所で働く松本悠一は日々発生する事件に対応し、不妊治療を続ける郁美、彼女が住むマンションの向かいに住み虐待を受けている壮太と様々なバックグラウンドを持つ年齢性別バラバラな登場人物が虐待問題の大きさを伝えようとストーリー展開される。
舞台となる神奈川県多摩川市(川崎市か)のランドマークであるラーメンタワー(ベイビュータワー)の存在が常に目に入るが、それに対しての市民の微妙な想いもストーリーにエッセンスを加えている。
時間軸の使い方が非常に秀逸で、様々な事象が伏線となり一気にラストへ向かう展開に一気読み必至の作品です。
途中、読んでいてつらくなるような描写があった。しかし、それを避けて書いてしまっては、この物語のテーマは形成できず、必然だったと思う。児童虐待、貧困、性暴力。今も日本のどこかで誰かが苦しんでいる問題を目を逸らさずに描いた力作。全体をとおして淡々としながらもどこか温かい語り口で、一気に読まされた。思わぬひとひねりも決まっていて、満足のいく読書になった。
あの塔の上から、ラプンツェルがいつか長い髪を下ろして助けてくれる。
多摩川市出身の実業家が建てた展望塔にそんな夢を見たナギサと、ナギサを守ろうとするカイ、そして二人と共に過ごすハレ。ナギサたちのラプンツェルが現れて助けてくれたらと、期待しては裏切られ、それでも最後まで期待しながら読みました。
彼らの物語とともに展開するのは、児童相談所の職員の物語、そして不妊治療に取り組む夫婦の物語です。
SOSを出す子どもたち、親たちに寄り添う児童相談所と、当事者ではないけれど見守っている夫婦が一歩ずつ踏み出して、親子の伸ばした手を掴もうとする様子に胸が熱くなりました。
それぞれの物語は思わぬ結末を迎えますが、読み終えて振り返ってみると、たしかにこの結末しかないように思えるのです。
日本の子どもたち、親たちを取り巻く環境がすべてここに描かれていると思いました。読み応えもたっぷりで、硬派な社会小説を読みたい方にお勧めです!
重い、とても読んでいて苦しいお話でした。
児童相談所で働く人たちとケアしている家族の話、ナギサとカイとハレの話、長年不妊治療をしている夫婦の話、この3つの視点で描かれた物語はとても重く苦痛でした。どうか幸せになってほしいとずっと願い続けながら読んでいました。
最後の展開で光が見えたとき、読者にも救いが差し伸べられた気がしました。
つらい本だった。
構成やアイデアは見事だった。
みんなそれぞれ痛みを感じ、不当を思い、どうにかしなくては、と思い焦る。無力感にもひたる。社会の問題としてひとりひとりが考えること、だと思う。
そのための情報は必要。
しかしそれを超えたところで、この「実際にされた者でない人間にその痛みがどれだけわかる?屋根の下に住み、暴力暴言をうけることもなく、安全地帯からかわいそうね、といってるのとなにが根本的に異なる?」感がいつもあった。
語弊を恐れずにいえば、ルポはともかく、物語として悲惨な目に遭う子供の姿を描くことに、どこか違和感があった。
それでもなお、読んでよかった。ひとりひとりが、知る、こと。人ごとではないとおもう、感じる、のは実際にはむつかしい。かわいそうだね、だけではない何ができるか、考えるために。
なにがしあわせか、て難しい
「かわいそう、てのは他人目線からくる感情だと思う。」130