清六の戦争

ある従軍記者の軌跡

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刊行日 2021/06/14 | 掲載終了日 2021/11/10

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内容紹介

「戦争の描き方に、この方法があったとは!」

戦時に統制下に置かれた新聞は、戦地では支配の末端をも担った。

若き日「百姓だって人間だ」と書いた記者・清六は

いかに働き、いかに愛し、いかに死んだのか。

――東京大学・加藤陽子教授、推薦!


【内容】

太平洋戦争末期、爆撃下の洞窟で新聞を作り続けた記者がいた。

毎日新聞の伊藤清六(1907~1945)。


死と隣り合わせの兵士たちがむさぼるように読んだという、

ガリ版刷りの新聞「神州毎日」。

壕の中でペンを走らせたとき、彼は何を思い、何を願ったのか。

その時、新聞は何を伝え、何を伝えなかったのか。


時が流れて75年後、自らも記者となった著者が、

祖先の足跡をたどる旅に出る――

2020年7月~8月に毎日新聞に掲載され、第26回平和・協同ジャーナリスト基金賞・

奨励賞と第15回疋田桂一郎賞を受賞した連載、待望の書籍化。

貧しい農村に生まれ、幼い頃に両親を亡くし、それでも自分のできる努力を重ねて手を伸ばし続けた清六。それなのに、気がついてみれば後戻りできないところにいた。清六は、どうすればよかったのだろう。どうすれば、戦争をあおる記事を書かずにすんだのだろう。故郷から遠く離れた場所で死なずに済んだのだろう。戦争へと時代の流れを押し進めた記者の責任は重い。そして、私自身を含む誰もが「清六」になりうることに身震いする。(本文より)

【著者紹介】

伊藤絵理子(いとう・えりこ)

1979年生まれ。2005年、毎日新聞社入社。仙台支局、経済部、情報調査部、「開かれた新聞委員会」事務局兼社会部、阪神支局を経て、現在東京本社コンテンツ編成センター勤務。

目次

プロローグ

第一章 原点

第二章 従軍

第三章 南京

第四章 統制

第五章 暗転

第六章 彷徨(ほうこう)

エピローグ

刊行にあたって

関連略年表

主要参考文献

「戦争の描き方に、この方法があったとは!」

戦時に統制下に置かれた新聞は、戦地では支配の末端をも担った。

若き日「百姓だって人間だ」と書いた記者・清六は

いかに働き、いかに愛し、いかに死んだのか。

――東京大学・加藤陽子教授、推薦!


【内容】

太平洋戦争末期、爆撃下の洞窟で新聞を作り続けた記者がいた。

毎日新聞の伊藤清六(1907~1945)。


死と隣り合わせの兵士たちがむさぼるよ...


販促プラン

8月の終戦記念日に向けて告知・PR記事等掲載予定。

8月の終戦記念日に向けて告知・PR記事等掲載予定。


出版情報

発行形態 ソフトカバー
ISBN 9784620326863
本体価格 ¥1,500 (JPY)

閲覧オプション

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NetGalley会員レビュー

今年も戦争を語る時期になりました。
あの戦争はこの先も伝えていかなければなりません。
当時の状況を伝える方法は様々あったと思いますが
この作者のようにプライドを持って伝えていた人は
少ないと思います。
職業意識だけではない、そこには崇高な精神が
確かに感じられました。
この先も読み継がれることを願います。
多くの人の本棚にこの本が置かれますよう。

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名も知らぬ一介の新聞記者である清六の目を通して、掲載できなかった戦争の実情を知るきっかけとなりました。
方向を間違えると、誰しもが同じ過ちをしてしまう怖さがある。
毎年8月は、戦争について書かれている書籍を積極的に読むようにしています。

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記録を残すことの大切さを感じさせてくれる本。

第二次世界大戦が終わってからすらもう80年近くたち、
戦争というと公的な記録であったり、「歴史資料」で知るものといった、
もう固定されたもののように思えてしまうこともあるけれど、
案外整理されていないことも多いし、知られていないことも多く、
個人が書いたものから見えてくることも多くある。

いま目に見えている資料だけで満足するのではなく、
可能な限り広げ、深めて「知ろう」とする人がいて初めて、
本当に歴史から学ぶことができるのかもしれない。

そのおこぼれにあずかることができて、新たな視点が得られてよかったです。

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