苺飴には毒がある

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刊行日 2023/11/13 | 掲載終了日 2023/10/16

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内容紹介

好きなわけじゃなかった。でも、嫌いなだけでもなかった。

あなたの隣にもきっといた、「あの子」の物語。


高校二年生の寿美子には、れいちゃんという友人がいる。

ご近所同士の幼馴染であることから、自然と一緒にいることが多かったふたりは、同じ高校に進学し通学を共にしていた。

過去に複雑な事情を持つれいちゃんは、可憐な容姿とは裏腹に、他人の容姿を貶めたり、陰口を撒き散らすことで他人とコミュニケーションをとる少女だった。

そんな態度に違和感を覚え始める寿美子だが、やがて彼女の吐く毒は自分自身にも及んでいるのではないかと思い至り――。

互いを傷つけ合い、それでも一緒にいることを選択する、思春期の複雑な友人関係。

業界注目の新鋭・砂村かいりが贈る、

一言では片づけられない、少女同士の関係性に切り込んだ青春小説。


好きなわけじゃなかった。でも、嫌いなだけでもなかった。

あなたの隣にもきっといた、「あの子」の物語。


高校二年生の寿美子には、れいちゃんという友人がいる。

ご近所同士の幼馴染であることから、自然と一緒にいることが多かったふたりは、同じ高校に進学し通学を共にしていた。

過去に複雑な事情を持つれいちゃんは、可憐な容姿とは裏腹に、他人の容姿を貶めたり、陰口を撒き散らすことで他人とコミュニケーションをとる...


出版社からの備考・コメント

もし感想をお寄せいただける場合、恐れ入りますがネタバレになるようなお言葉はお控えいただけますと大変有難いです。

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おすすめコメント

「毒親」という言葉が使われるようになって久しいですが、

実は身近な友人にも、自分を害してくる人はいるのではないか。

本作は、「毒友」とも言える友人・れいちゃんと、主人公の寿美子の関係を描いています。

選択の自由もそこまでなく、まだ絶妙に自分の世界が狭かった学生の頃に感じていた閉塞感や苦悩。その中での友人関係が鮮明に思い出され、

「ああ、彼女は私の隣にもいた」「これは私の物語かもしれない」と胸の柔らかいところにグサグサ刺さってくる、でもそれが救いになる、特別な物語です。

綺麗なだけではない友人関係に悩んでいる、ひとりでも多くの方のもとに届きますように! どうぞよろしくお願いいたします。


「毒親」という言葉が使われるようになって久しいですが、

実は身近な友人にも、自分を害してくる人はいるのではないか。

本作は、「毒友」とも言える友人・れいちゃんと、主人公の寿美子の関係を描いています。

選択の自由もそこまでなく、まだ絶妙に自分の世界が狭かった学生の頃に感じていた閉塞感や苦悩。その中での友人関係が鮮明に思い出され、

「ああ、彼女は私の隣にもいた」「これは私の物語かもしれない」と...


出版情報

発行形態 ソフトカバー
ISBN 9784591179710
本体価格 ¥1,700 (JPY)

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NetGalley会員レビュー

あの子のこういうところが苦手、それなのに一緒にいてしまう。好きなところももちろんある。けれど時折見えるその悪意に、どんどん首を絞められていく。なのになぜ離れられないのだろう。学生時代にこの感情に囚われた人は少なくないはず。瑞々しいくらい透き通った毒がページを捲るたびに心に染み込んできました。自分にとっての友達について考えさせられる小説。

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常に自分の立ち位置を絶え間なくチェックする様は、中高限らず誰でも思い当たる節があるはず。傷ついて、期待して、そしてまた諦めとともに自分を卑下する。れいちゃんの与える飴に時に翻弄されつつ、最終的に解毒したシーンは心を痛めながらも喝采を覚えた。そして、謝罪したれいちゃんを最後まで許さない寿美子にも、やはり毒はあったのだ。

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タイトルにある「苺飴」、主人公と友人を繋ぐキーワードだが、次にある「毒」と相まって「毒飴」と書かれているのかと勘違いした。
この小説はそんなミステリではなく、ちょっと変わったシスターフッド物語。「どうしてあんな人と友達なの」と言われる、毒ばかり吐くクラスメイト、だがそこに友情が成立している。そのあたりの微妙な人間関係が青春なんだ。いい奴だけがいい友達ではない。毒に塗れた奴ほどいい友達になれる。そんな逆説的な気持ちになれる佳作。
フワッとしているけど、ちょっとスパイシー。だからアオハルということ。

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軋み続けた果てに・・
齢を経たり、成長した後では、些細ではないしこりとして残り続けている感情のゆらぎを、持て余していた少女時代の回想として克明に記している。
幼児期に自我が芽生え、成長するにつれその感情が自己と周囲へと切り分けられていく過程において過敏ともいえるかもしれない感受性の苦しみは、大方の者が経験することであろうがそれ故に時期も期間もそれぞれで自身も周囲も理解できないもどかしさがつきまとうようだ。
またその時期の「れいちゃん」の存在が、他者でありながら自身の影のようにも見えてしまうのはなんとも皮肉にもみえる。
自身の過去(似ても似つかないが)の記憶が、当時の感情も付随したままで想起させられるような青春記。

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女性なら、なんかしらのこの手の苦い思い出はあると思うし、重いテーマではあるがサラリと読めた。ただ、辻村深月のようにもっとドロリとした、いつまでも心を逆なでされるような表現力を期待してしまった自分もいて、あっさり終わってるしまって残念な気持ちもあった。とはいえ、この作者の次回作もぜひ読んでみたいと今から楽しみにしている。

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