森と、母と、わたしの一週間
八束 澄子
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刊行日 2024/10/07 | 掲載終了日 2024/10/04
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内容紹介
――風によばれて、ここまで来た
わたしが、わたしになれる場所
毎日なんとなく息苦しいと感じるあなたへエールをおくる物語
友達の一言に傷つき、仕事に疲れた父親には悩みも言えず、やりきれない気持ちを抱える野々歩。通学の途中、ふと風によばれた気がして、電車に乗って向かったのは、亡くなった祖母の住んでいた町。遺産の後片づけのため、母親がしばらく家を空けて、そこにいるのだ。自分を放っておく母親への複雑な気持ちを抱えたまま、なりゆき上、母親がボランティアで関わる「森のようちえん」の子どもたちと一緒に過ごすことになる。大自然の中で力強く生きる子どもたちを目の当たりにして、野々歩も自然の美しさ、厳しさを知り、自分自身とも向き合っていく。
装画:いとうあつき
出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784591183380 |
本体価格 | ¥1,400 (JPY) |
ページ数 | 214 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
ーおいで。こっちへおいで。
風に呼ばれて、野々歩はあの町へと電車で向かう。
そこは亡くなった祖母が住んでいた町。祖母の家の片付けのためにしばらく帰ってこない母がいる町。
学校の友達の一言に心を痛め、友達との関係性に悩み、父親にもその悩みは言えず、通学途中に母がいる町へと向かった野々歩は、なりゆきで『森のようちえん』のボランティアとして子どもたちと関わることに。
自分たちで考え行動する子どもたちと、子どもたちを見守る大人たちの姿が『森のようちえん』にはあります。
子どもが興味を持ったことにただ「危ないから」と止めるのではなく、子どもたちはどうしたら出来るようになるかを考えて行動していきます。成功しても失敗しても子どもたちなりに行動していく姿はとても逞しく眩しかったです。
なぜこんなにも人の目が気になるのか?なぜ即レスしなきゃと思ってしまうのか?野々歩が抱える悩みのようにすぐに繋がってしまう現代の環境にいるからこそ感じたことがある人も多いのではないでしょうか。
自分の人生の主役はいったい誰なのか?子どもたちの姿や言葉から野々歩自身が感じとったものにより、たった一週間なのに大きく成長したように感じました。野々歩とともに子どもたちと森の中でいっぱい遊び、深呼吸をして肩の力が抜けて、一緒に冒険できて楽しかったです。
子どもたちと共に冒険し美味しいものを食べ笑うことにより、年齢関係なくリアルな人間関係やSNSなどで疲れた人の心に効く物語だと思います。
私も『森のようちえん』のような環境で育ったので、友達と遊ぶのはいつも森や川でした。怪我をしたら大人の真似事をして薬草を貼ったり、季節ごとの森の恵みを自然に味わっていました。都会に出ても季節を感じるものに心惹かれるのは、森で学んだことが自分の基礎になっているからなのだなと感じました。
中学校の閉塞感に耐えられなくなり、ふと離れて暮らしている母に会いたくなった野々歩。
祖母が亡くなった後の片付けのために、ひとり祖母の家に住んでいる母に会うのは半年ぶり。
久しぶりに会った母は、「森のようちえん コロボックル」でボランティアをしていた。
コロボックルの子どもたちのパワーに圧倒される野々歩の気持ちがよく分かる。子どもたちは山や森の中を駆け回り、泥だらけびしょ濡れになるのも構わず、思う存分遊び倒す。
実在する「森のようちえん まるたんぼう」という幼稚園がモデルになっていると知り、とても興味を持った。
子どもたちが生き生きと過ごしている姿、山の澄んだ空気、荒々しい自然の雨と雷の音。
まるで目の前で見ているかのような、瑞々しい描写に胸が高鳴る。
野々歩が、都会の閉じ込められた教室を思い出し、「あー」と声を出して空を仰ぐ気持ちがとてもよく分かる。
「コロボックル」では子どもたちの自主性を、大人が邪魔しない。信頼して任せて、さりげなくフォローする。
子どもを守るって、そういうことなのだと思う。
狭い場所に閉じ込めて監視して、ああしろこうしろと口を出す守り方は、野々歩みたいな窮屈な思いに苦しめられる子どもを生み出してしまうんだろう。
自分もひとりの親、ひとりの大人として、子どもたちにのびのび過ごせるような守り方をしたいと思った。
実在する森のようちえんをモデルに書かれた作品で、登場する子どもたちが生き生きと描かれていました。たぶん、誰しもが主人公の野々歩のように、周囲に合わせたり、人知れず傷ついたりしている今の時代、特に若い世代は視野も狭く、枠にはめられて窮屈で息苦しい思いを抱えているのではないかと思う。この作品を読んでいると、森での子どもたちとの交流が疑似体験できるようで、自然の豊かさを感じることで少し心の風通しがよくなったり、子どもたち一人ひとりの個性に励まされたりしました。野々歩たち家族を通して、家族との関係性や、生まれ育った土地の素晴らしさを見つめ直す要素も含まれているので、親子で読んでほしい本だと思いました。
友だちに会わせてばかりの毎日、亡くなった祖母の家の片づけのために半年も家を空けている母。
野乃歩は、なんだか息苦しい。
ストレスから湿疹ができるが、それを異性の父に話して見せるのも、ちょっと気が引ける。
「こんな時にお母さんがいてくれたら」と勝手な母に腹を立てながらも母が恋しくて仕方がない。
ある日、ふと風によばれた気がして、電車に乗って、母のいる祖母の家に向かう。
山陰地方の山の中で、母は「森のようちえん」のボランティアをしていた。
「森のようちえん」の教育理念というのか指導方針というのか、なんともワイルドで、「だいじょうぶ?」と心配してしまった。
でも、子どもたちは、とてもたくましく、生き生きとしていて、楽しそう。
色から匂いまで、山の様子がありありと伝わってきて、室内で読書していただけなのに、森林浴をしたような気分になった。
田舎の生活で生気を取り戻す児童文学はよくあるが、子どもだけでなく大人もそうなんだろうな。
ちょっと近づいては、また離れて、という野乃歩と母の関係がリアルだった。
私の息子は、通称「森の幼稚園」と呼ばれる、自主保育に通った。(23年前)のこと(雨の日も雪の日も(北海道札幌)も外で遊んでいた。その頃のことを思いながら読んだ。「人間にとって一番のストレスは、自然。」といった、園長(仮)の言葉を読みながら思い出す。たからこそ、自然に対して全力で真剣に向きあわなければならない。人の持っている知恵を100パーセント使わなくてはならない。そうすれば本来の自分が出てくる、取り戻せる。そんなことを改めて思い出した作品だった。
主人公やその母の立場ではなく、森の幼稚園の関係者として読んでしまい、作者の意図とは違うので申し訳ありません。
森 母 わたし
各々のあいだに「、」
先を急ぐあまり 「、」をすっ飛ばしちゃうことある~
「、」で息継ぎしないと 苦しくなっちゃうこともあるある
遠くを見せることに躍起になって
娘の足のサイズも私との身長差が1センチになったことにも気がつかなかった
ただの塩のおにぎりがなによりおいしくて
火はあったかい
なんだか いろいろムズカシクしていたかもしれない
森と、母と、わたしの1週間
「、」という距離のお守り 「1週間」という時間薬
ねえねえ 知ってた?
すこしだけ おやすみしてもいいんだって
子どもたちの躍動感が元気をくれる
一冊ですね。
私も負けていられないって感じましたよ。
主人公は人間関係に疲弊した14歳。
祖母が遺した家に行ったきりの
母を追い求めた彼女は、
街の喧騒から逃れ、田舎の駅に
降り立ちます。
ボロボロの少女に立ち直るきっかけを
くれたのは、驚いたことに、
ちっぽけな勇者たちでした。
こんなの今までになかった!
麗しい自然のなか逞しい子どもたちと
触れ合い、自分を見つめ直すという
流れは新鮮そのものですね。
素晴らしかったのは、
“森のようちえん”の一本筋が通った
見守り方針。
世間の当たり前とは異なる
「お世話をしない保育」には
気づきが溢れていましたよ。
園がとても大切にする、
誰かに助けを求めるのはよいこと
という価値観には、私も主人公同様に
ハッとさせられました。
日本の林業が抱える構造的な問題に
触れているくだりがあって、
勉強にもなりました。
これは、楽しくて、安らぎが得られ、
学びにもなる作品ですね。
日本の山林に秘められた価値に
物語で気づかせてくれる良書。
大人から子どもまで広く読まれて
欲しいと思います。
(対象年齢は11歳以上かな?)
人との付き合いがあまり得意でない野々歩は、友達から投げかけられた言葉をきっかけに、ぎりぎりの場所で踏ん張っていた心のバランスを崩し、様々な不調をきたす身体をもて余し困惑していた。
つかれきった様子の父親には相談できず、祖母が亡くなって後片付けのため残った母はいまだに帰ってこない。現状の苦しみから逃れるように母の居るかつて祖母が住んでいた場所へ一人向かう野々歩。そこには思いがけない出会いが待っていた…。
P158“ー解き放つのは自分。”の言葉は、その境地に至るには難しいかもしれないけど、とても心地よい健全な考え方で、頑張ることの大切さも、助けを求める重要さも生きていくうえではとても大切だから人は1人ではないんだな…、と心にすとんっと刺さりました。
野々歩に語りかけてくる言葉が祖母の言葉だったような雰囲気もありましたが、自分は崖っぷちだった野々歩の心の自然治癒力のなせるものかなぁ、と。
それから、作品の世界観にぴったりないとうあつきさんの扉絵もとても素敵でした!
人に合わせて生きていく…そんな毎日に身体は悲鳴を上げる。
山ではみんなが主人公。少しずつ心も快方に向かう。
助けを求めることを覚えさせるシーンにぐっときた。分かっているからこそ、その子の為に手は出さずに見守る。難しいけど結局は自分で打破しないと世の中厳しい。
主人公の新たな気持ちでの登校後の様子をもう少し知りたかった。
祖母の死後、片付けと称して帰ってこない母への屈折した思いを抱え、どうにもやりきれなくなった野々歩。友人ともうまくいかない気がして、凹み気味で不意に祖母の家へと足を向ける。ぐちゃぐちゃの気持ちに振り回された行動だった。母の現在とその活動を知るにつけ、どんどん心が開いていく。山や森の持つ力と溶け合うように生きる子どもたちや大人の姿勢に大いなる刺激を受ける。自分の意思と自分の体で生きることの自然体の姿に、触発されるように湧いてくる力があった。一週間の森と山での暮らしが、野々歩をぐいと成長させた。祖母の残した有形無形のものにも勇気づけられた。ことばに出すことの大切さも思い知った。わたしになれる場所の心地よさを知ったからこそ、苦悩を手放すことができたのです。