
ゾンビがいた季節
須藤古都離
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刊行日 2025/04/14 | 掲載終了日 2025/04/16
ハッシュタグ:#ゾンビがいた季節 #NetGalleyJP
内容紹介
// ゾンビ × 映画撮影 × 群像劇 = 感動大長編 //
『ゴリラ裁判の日』著者・須藤古都離の新境地!
【 面白いネタ、全部盛り。小説史上最高のゾンビ群像コメディだ 】
―― 大森 望(書評家)
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< あらすじ >
死ぬのは簡単だ。だから急げ。人生が台無しになる前に。
貸したまま戻ってこないイヤリング、信念を曲げて書いた小説、自分を捨て街を去った彼女――こんなはずではなかったと思いながら生きる人々に訪れた最大の転機、それはゾンビ映画の撮影だった!!
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アメリカ西部ネバダ州にある人口50人以下の町・ジェスローで、人気小説家のトムはしばらく新作が書けずにいた。
「世界が終わる日が来たら書くかもな」と言う彼を再起させるため、妻のメグは、ゾンビに扮してトムを襲う計画を立てる。
そこに噂を聞きつけた映画監督がやってきて……。
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< 担当編集者より >
『ゴリラ裁判の日』で鮮烈なデビューを果たした須藤さんが今作で挑んだのは「ゾンビ・パニック・コメディ」です。
舞台は1960年代後半のアメリカ。次々に登場する個性豊かなキャラクター、予想できない展開の連続にページをめくる手が止まりません! ゾンビ好き、映画好きは勿論、皆さまが楽しめること間違いなしの1冊です!!
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著者/須藤古都離(すどう・ことり)
1987年、神奈川県生まれ。青山学院大学卒業。2022年『ゴリラ裁判の日』で第64回メフィスト賞受賞。他の著作に『無限の月』がある。
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★★★
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★★
出版情報
ISBN | 9784065368008 |
本体価格 | ¥1,950 (JPY) |
ページ数 | 384 |
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NetGalley会員レビュー

メフィスト賞出身の作家の作品が興味深い。
金子玲介の「死んだ山田と教室」は、死んだ高校生が学校の教室のスピーカーに憑依するという突飛な設定がチャーミングな一作で、その後の作品もどれもチャレンジング。
そしてもう1人、この本の作者の須藤古都離もチャレンジングだ。「ゴリラ裁判の日」は、人語を解するゴリラが夫を殺されて裁判を起こすというこれまたユニークな設定の小説。次作の「無限の月」もウェアラブル端末を装着すると他人の意識の中に入り込んでしまうという現象が起きるという今の時代らしい題材だった。
そしてこの「ゾンビがいた季節」。
アメリカの西部の過疎の街で巻き起こる「ゾンビ」をめぐる騒動をユニークな構成で描く。
映画では色々なゾンビが描かれてきた。しかしこの小説のゾンビはそのどれとも違う。物語が多層的に展開し、読者はその場にいるかのような臨場感を感じられる。
ゾンビ好きには堪らない一作となった。

ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)公開の翌年、50人ほどが住む小さな町ジェスローの人々がゾンビに。
一つのフェイクが新たなフェイクを招く、無限の連鎖。それぞれを信じる人々により混乱は極まる。盲目なる信念の前にはコミュニケーションなど無意味!
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はじめはそう、50人ほどしか住んでいない町、ジェスローで暮らすスランプの作家に新作を書かせるためのフェイクだったはず。
そこに、自尊心の塊の監督、マフィアの生き残り、殺し屋、UFOの証拠隠滅のための秘密部隊、敬虔なる神父、現代が描かれた100年前の文書、至宝たる真紅のインペリアル・イースターエッグ、ゾンビ映画にノリノリの住民、などなどなど、本来なら全く関わることのないはずなのに、こんな小さなジェスローの町に集まって絡み合うことになるとは。
そして、自分の信念だけから物事を見ない彼らには、コミュニケーション、相互理解など起きるはずがない。それが人間の本質の大きな一面であり、これはその究極の舞台であることに気づいた時、読んでいて鳥肌が立った。すれ違いが産む単なる喜劇などではない。〝信じる〟こと、〝立場〟にあること、それが人々をいかに盲目にしていくか。そんな人の本質を抉り出す作品だったとは。
そして、それによるすれ違いと誤解は全てを取り込み、大きな混沌の坩堝となっていく。そうなってもまだ、人々は互いを知らず、状況もわからず、ひたすら自分が生きる〝現実〟での判断で行動し指示していくとは。救われない方向へとまっしぐらに、気が気ではなくなった。
そして、100年前の文書に描かれた、現代のジェスローの最後を示した絵が現実となる。様々な〝現実〟を生きる人々にとり、それが〝共通で絶対的な現実〟として否応なく提示されるとは。
人々の持つ全く異なる信念が招いた終局の暴走が、100年も前に描かれていたとは。何という皮肉。
でも、それで人々は変わることができた。今までの自分とはことなる道へと踏み出すことがでした。それが救い。混沌の坩堝からの贈り物。こんな穏やかな救いがあるとは。
めまいに囚われながら、でもそれ故の楽しさを味わいながら読んだこの作品は、『ゴリラ裁判の日』を超える、誰にも真似できるものではない、まさに須藤古都離先生の新境地だった。

題に「ゾンビ」が入っていたので期待感マックスで読み始める。序盤でゾンビ物らしい展開でオーソドックスだけれどもワクワク。が、ものの数ページでがっかり。なんだそういうことかとしょんぼりしながら読み進めた。が!おもしろかった。それぞれは単純な事柄なのになぜか複雑に絡み合ってどうしてそうなるとニヤリ。ドキドキハラハラ。どこで絡み合った糸はほどけるのか焦燥感。ノームがお気に入り。

えっ、そんな展開⁉︎
こんな風に着地するなんて最初は思わなかった!
とびっくりしてしまうお話で、面白い!
海外モノの雰囲気が濃く、海外ドラマや映画が好きな人にはたまらない作品だろうなと思います。
色々なキャラが出てくるのですが、それがうまくひとつになって結末に向かう感じが心地いい。
大きく状況が動くシーンでは息を呑み、ページを捲る手が止まらなくなりました。
悲しい部分もあり、刺激的な部分もあり、ドラマチックでした。海外映画っぽい!
おすすめです。

「ゴリラ裁判の日』のような強いメッセージ性はなく、これはストーリーで読ませてもらった。
正直、最初はのめり込めなかった。シーン転換が煩雑で登場人物もやたら多く、何が起きているのか掴めない。しかし、それ自体が伏線だった。作家・映画・マフィア・UFO・ベトナム戦争。本当なら関わりのない事柄が有機的連鎖性を持ち、勘違いが勘違いを生み話はあらぬ方向へ進んでいく予感。こうなると行く末が気になって読むペースが速まる。なんか世の中って計算違いと勘違いで動いているんだな。これ、真理かも。

日本の小説を読んでいる気がしない。常にフィールドがアメリカにあるように感じる。言葉遣いも英語にすぐできそうだなと思うくらい明瞭でハキハキしている。トムの書く小説と映画を撮ろうとしているシーンとさまざまな虚実か現実が入り混じる。場面展開がとても複雑で読みいるのには多少時間がかかってしまったものの楽しめた。Deep Purpleとか合わせて聴きたい。

ゾンビ苦手だけど須藤古都離さんだからなぁ、、、って思い切って読みましたが、なんだこの爽快さは。
舞台は1960年代、ネバダ州の田舎町ジェスロー。
登場人物がいっぱいで複数の話が並行して流れるからちょっと混乱するところもありましたが、終盤のスピード感ある展開はとっても楽しかったです。
人生燻ってた人たちが、ゾンビをきっかけに元気になる(笑)
タイトル回収の結末は気持ちよかった!

本当の映画みたいなかっこいい表紙の本。
ですが内容はめちゃくちゃコメディ。
小説家の夫になんとか仕事をさせたい妻。
もうそろそろ当たり映画を撮りたい監督。
暗殺者なのに何故か映画に
出演することになった男(2名)。
秘密裏にUFO対策をしている謎の政府機関。
そんなものすごーく変な人たちがそれぞれに不協和音を奏でたら、
なんだかピッタリとハマっちゃった。そんな物語です。
ただの映画の撮影のはずがどんどんとんでもないことになってしまって、
この後どうなっちゃうのかハラハラしながら読み進めました。
須藤古都離先生の本は以前に『ゴリラ裁判の日』を読んで
まるで映画みたいな物語を描く作家さんだと思いましたが、
今作にもそれが遺憾なく発揮されていたと思います。

「人間とは愛を求めるゾンビなのだ」
60年代アメリカの片田舎ジェスローでの映画撮影。
トラブルまみれ。いわく「皆、ゾンビになっちまった」
果たして撮影は完遂できるのか。
ゴリラを主人公とした作品で鮮烈なデビューを飾った作家の三作目。

まず、装丁がとてもカッコイイ!
ゾンビ好き、海外ドラマや映画好きさん、迷わず手に取って下さい。正解です。
しかし残念ながら、タイトルに「ゾンビ」と付くだけで手に取らないタイプの方々って一定数いると思うんですよ。わかります、私自身がそのタイプ。ゾンビ?コワイ!グロいの?やだーっていう「ゾンビはノーサンキュー」の方、ちょっと待ったぁーー!!こんな元気もらえるゾンビ作品は他にないと思います!安心して手に取ってみてほしいです。
私もゾンビに構えてドキドキしながら読み始めましたが、あれよあれよととんでもないことになっていくコメディ群像劇がたまらなく面白い。予想だにしなかった展開が、絡み合って集結していく快感にニヤニヤが止まらない。可笑しみがあって、めちゃくちゃ笑えてきます。なのに最後に押し寄せてくる感動。これが最高!
流石、須藤古都里さん。読ませてくれます。