
Cloud on the 空き家
小池昌代
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刊行日 2025/07/22 | 掲載終了日 2025/07/23
ハッシュタグ:#Cloudonthe空き家 #NetGalleyJP
内容紹介
// 生き死にの極限に迫る、著者渾身の恋愛小説! //
雲=クラウド=記憶の保存庫
幾千年の時を超えて、
あなたと恋をしている奇跡。
*
ひと月前に兄を亡くして天涯孤独の身となったわか子は、週に三日、空き家管理の仕事をすることになった。
趣味の和歌を思い浮かべながら、何かが死んでいるような腐敗臭のする家で掃除をしていると、「なびかじな……」という藤原定家の和歌がきっかけとなって不意に景色が反転し、気を失ってしまう。
目が覚めると、空き家の持ち主の河原さんと見たことのない青年がわか子を心配そうに見下ろしていた。
それは時間のなかを旅してきたような、不思議な感覚で――。
*
1.Cloud on the 空き家
2.うどの貴人
3.もの言う馬
4.魂ぎれ
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著者/小池昌代(こいけ・まさよ)
1959年、東京都生まれ。1997年、詩集『永遠に来ないバス』で第15回現代詩花椿賞受賞。2000年、詩集『もっとも官能的な部屋』で第30回高見順賞受賞。2001年、『屋上への誘惑』で第17回講談社エッセイ賞受賞。2007年、「タタド」で第33回川端康成文学賞受賞。2008年、詩集『ババ、バサラ、サラバ』で第10回小野十三郎賞受賞。2010年、詩集『コルカタ』で第18回萩原朔太郎賞受賞。2014年、『たまもの』で第42回泉鏡花文学賞受賞。近年の主な著作に、『かきがら』、『くたかけ』、詩集『赤牛と質量』、そして古典に接近する最初の契機となった『百人一首』の現代語訳がある。詩を根幹のキーワードに世界を見る作家。詩のアンソロジストとしても、『放課後によむ詩集』ほか、数多くのアンソロジーを刊行している。
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出版情報
ISBN | 9784065401439 |
本体価格 | ¥2,250 (JPY) |
ページ数 | 213 |
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NetGalley会員レビュー

ファーストサマーウイカさんがが「清 少納言」へ 色を添えたのだとしたら
本書著者小池昌代さんは「藤原定家」へ 記憶という残留物を放ったのではないだろうか。
一目散に進む物語、ではない。
和歌を取りこみながら 主人公わか子は あっちとこっちを行き交う。生者と死者の時空を行き交う。
時にそれは 別れた男であり、替え難い我が子であり、けして親交があったとは言いきれない家族だったり。
手を差しのべても届かない。空虚。幻想。寂寥。
ここに出あうためと思った箇所には 百舌(もず)がいた。
香を聞く、聞香もんこうの場面に惹かれた。
好きなものへの愛着を みな抱いていた。
「ああ、これが人の一生なのか」「わたしの人生は、はっきりと曲がった」
時間を意識させる言葉に出会う。たまらない。
小気味よく刻む文節は、まるで朗読を目で追っているようだった。
それでいい、それでよかった、全てを肯定された気持ちになった。
日常の些末なんてどうでもいい。
すべては本に向き合うまでの助走、そんなことを思いながら読み終えた。
いつか受け止めきれないほどの喪失感に陥ったとき 必ずや手にするだろう。

最近短歌に興味を持ち始めました
こちらの作品に和歌が使われていると知り、読んでみたくなりました
主に藤原定家の歌でしたが、特に惹かれたのが「花橘の香」の歌です
どんな香りだったかと改めてググってしまいました
この世とあの世、過去と現在の狭間のような世界で最後まで掴めないまま終息しました
空き家が舞台というのもなかなかお目にかかれない作品でした
主人公が見ていたのは、肉体がない想念だけの人たちだったのか
決してロマンチックな物語ではなかったけど、今の季節にはマッチしていたと思います
心の屈折の表現等印象に残る言葉をメモってしまいました
著者の他の本も読んでみたいです

空き家の管理人になったわか子さん。和歌が好きなわか子さん。
藤原定家の歌や西行など、こんな気持で読んだのかなと思うと想像が膨らみました。
物語の要所に綴られる和歌の意味もわかりやすくて、百人一首のなかの和歌くらいしか知らないのですが、和歌ってこの文字数でこんなに深いことを読んでいたのかと胸にストンと落ちるようでした。
不思議なタイトルで、内容もどこかふわふわしていて、夢と現実が混在しているようでした。
「なびかじな。なびかじな。なびかじな。」魔法の暗号のような言葉がとても印象的で、一緒に声に出して私も口の中で唱えてみました。
物価高騰や、生きづらさといった現代社会の描かれ方がとても好きです。そして時代を超えた恋には、ちょっとムッとしたりキュンとしたり切なくなったりと感情を動かされました。
私も地面ばかり見て歩いているのかもしれないです。
空に浮かぶ雲を見上げて、「なびかじな」と唱えてみたいそんな気持ちになりました。

小池昌代さんの講演会に行ったことがあります。小池さんに、「どんな風に詩を書くのですか」と伺ったところ、「言葉の方から勝手に降りてくるんです」というようなお答えでした。小池さんの小説は初めて拝読しましたが、詩人でいらっしゃるので、言葉の使い方がとても秀逸でした。散りばめられているユーモアも心地よく、一気に読み終えてしまいました。素敵な作品に出会えて、今日はいい気持ちで眠れそうです。

和歌が好きなわか子さん。50歳を過ぎて兄を亡くし、天涯孤独の身になってしまいました。定職のない彼女は面接に行っても落ちてばかり、中高年向けの仕事という求人の面接に行ってみると、なぜか気に入られて週に三回、空き家を片付ける仕事をすることになりました。隅田川にかかる清洲橋を東に渡ったところにその家はありました。ということは、清澄白河の辺りなのかしら。
長いこと放っておかれた家ですから、それはそれは荒れ放題です。埃やゴミはもちろん、虫は出るわ、ネズミは出るわ、ちっとも片付かなくて嫌になっちゃう。でも我慢して働いているうちに、少しずつ慣れてきました。
ふと目にした景色から和歌が頭に浮かんできて、そちらの世界へいってしまう、わか子さんです。空き家の持ち主の甥である融(とおる)さんが現れてから、益々よくわからない世界が見えてくるようになってきました。
ここは、わか子さんに何かを教えてくれる場所だったのでしょうか?

和歌がところどころに出てきて、会話を彩ってくれています。会話のなかでさらっと和歌を言えるってかっこいい。
源氏物語にも和歌になじみがなく知識はあまりないですが、それでも楽しめました。
もう少し知識があればもっと楽しめたのかもしれないので、源氏物語など調べて再読したいと思います。

和歌好きなの。から始まる時を超えた愛の物語。和歌は申し訳ないが、国語で学んでから止まっている。一人一人纏う空気が異質で終始不思議な雰囲気を持つ。ストーリー展開も警察とのシーンだった、キャベツの値段だったり、激しいわけではないけれど現実か、はたまた虚実なのかが不鮮明な部分がたびたび登場するのも面白い部分でした。何かを伝える話というよりも何かを残す話であって自分の何かに落とし込める必要はない気がしている。