
「あの戦争」は何だったのか
辻田真佐憲
この作品は、現在アーカイブされています。
ぜひ本作品をお好きな書店で注文、または購入してください。
出版社がKindle閲覧可に設定した作品は、KindleまたはKindleアプリで作品を読むことができます。
1
KindleまたはKindleアプリで作品を閲覧するには、あなたのAmazonアカウントにkindle@netgalley.comを認証させてください。Kindleでの閲覧方法については、こちらをご覧ください。
2
Amazonアカウントに登録されているKindleのメールアドレスを、こちらにご入力ください。
刊行日 2025/07/15 | 掲載終了日 2025/07/30
ハッシュタグ:#あの戦争は何だったのか #NetGalleyJP
内容紹介
■講談社現代新書■
// 『「戦前」の正体』著者の集大成!//
(「新書大賞2024」7位)
----------------------------------
日本はどこで間違えたのか?
日本が掲げた理想はすべて誤りだったのか?
日本人にとって「あの戦争」はなんだったのか?
戦後80年、今こそ問い直す
「私たちにとっての戦争」
----------------------------------
日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。
過ちを素直に認めながら、そこに潜んでいた“正しさの可能性”を掘り起こす、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。
( 「はじめに」より )
【 目次 】
第1章 あの戦争はいつはじまったのか――幕末までさかのぼるべき?
第2章 日本はどこで間違ったのか――原因は「米英」か「護憲」か
第3章 日本に正義はなかったのか――八紘一宇を読み替える
第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか――忘れられた「東条外交」をたどる
第5章 あの戦争はいつ「終わる」のか――小さく否定し大きく肯定する
------------------------------------------
著者/辻田真佐憲(つじた・まさのり)
1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。単著に『ルポ国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』(文春新書)、『大本営発表』(幻冬舎新書)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)、監修書に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)、共編書に『文藝春秋が見た戦争と日本人』(文藝春秋)などがある。
出版社からの備考・コメント
空白ページは削除して公開しております。
発売前の大切なゲラをご提供させていただいております。弊社では、下記のような方からのリクエストをお待ちしております。
○発売に向けて、一緒に作品と著者を応援していただける方
○NetGalleyへレビューを書いてくださる方
○自分には合わない内容だった際、どういったところが合わなかったかなど、建設的なご意見をくださる方
下記に該当する方のリクエストはお断りさせていただく場合がございます。
ご理解のほど、宜しくお願いいたします。
○お名前・所属などに詳細な記載がなく、プロフィールにてお人柄が伺えない方
○作品ごとに設けました外部サイトへのレビューのルールをお守りいただけない方
○フィードバック率の低い状態が長く続く方
-----------------
※※リクエストの承認につきましては現在お時間をいただいております。
販促プラン
★
読み終わりましたら是非NetGalleyへレビューをご投稿ください!
著者・担当編集者ともに楽しみにお待ちしております。
また、適したメディアやお持ちのSNSにもレビューを投稿いただき、多くの方に本を拡げていただけますと嬉しく幸いです。
ご協力の程、何卒宜しくお願いいたします。
★★★
作品の拡材や指定配本をご希望の書店様は
恐れ入りますが<講談社 書籍営業部>まで直接お問合せをお願いいたします。
★★
出版情報
ISBN | 9784065404997 |
本体価格 | ¥1,050 (JPY) |
ページ数 | 288 |
関連リンク
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー

「あの戦争」の始まりはいったいいつなのだろう。 「米国に石油を止められて追い詰められたから」「日本が南部仏印に進駐したから」などと言われがちだが、本書ではそんな単純なものではないと書かれている。
「今は新しい戦前だ」と言われることが話題になったが、本書は、私たちが現在から過去を見つめ直すことで、「われわれの物語」として歴史を再受容していくことの大切さを説いている。
「あの戦争」を、日中戦争から太平洋戦争までを一連の流れとして捉え、国際情勢の見誤りや、司令塔の不在といった問題を通して、戦争に至る経過が描かれていく。 歴史にイフはないとわかっていても、歴史を知っているとイフの物語を考えてしまう。
特に印象に残ったのは、第二章の最後にある言葉だ。 「われわれは過去を変えることはできない。しかしながら未来を変えようと努力することはできる。あの戦争へといたる道をふり返り、さまざまな可能性について考えることは、そのための思考を深めるうえで、いまなお重要なのである。」
「あの戦争」についての見方は、時代や個人の立場によって大きく異なる。だからこそ、現在を生きる私たちは、歴史を学び、意見の違う人を否定するのではなく、考え続ける姿勢が大切なのだと強く感じた。
私の祖父母の世代は、まさに「あの戦争」を経験した人たちだった。 近親者を戦争で亡くした人、シベリアに抑留された人、子どもを中国に残してきた人さまざまな人が、当時の話をしてくれた。でも、その記憶を伝えてくれる人たちはもういない。 だからこそ私は、こういった本を読んだり、映画などを通して「あの戦争」に触れたりして、少しでも記憶にとどめておきたいと思っている。
本書を通して、私はいくつもの新しい事実を知った。中でも印象的だったのは、日本が世界に先駆けて人種差別撤廃の提案をしていたということだ。こうしたことを学ぶことで、私の中の「物語」が再構築していることを感じる。
そして、今世界で起きている戦争や緊張が続くニュースの中に、かつての日本の姿を重ねて考えていきたい。
「あの戦争」について無関心になることなく多くの人が自分のなかに「物語」を持ち、未来に「物語」が受け継がれてほしいと思う。

歴史は過去の積み上げではなく、現在からみた評価なのだと筆者は語るが、それは各国が自分の立場で先の大戦を見ているということ。つまり国によって歴史上の出来事の評価もまた変わるということである。大東亜共栄圏という理想を掲げる日本がアジア各地で行ったことが実際にはどんなことだったのか、筆者はそのルートを丹念に辿り各地の戦争記念館や碑文からそれぞれの国の立場を考察する。山のような文献に加えたこの膨大なフィールドワークはとても興味深く、日々のニュースが伝える国による齟齬がどんなところから出ているのかも理解できるように感じられた。
中でも興味深かったのは、マカオと南京、日本軍の悪辣さが際立った地での記念館での文面が同じ意味だったことである。「許そう、だが忘れない」
「恨みを継続するためではない」筆者が要約してくれた「記憶は残すべきだが、恨みは残すべきではない」という公式な見解が戦後のスタートであるならアジアの国々が望むものも平和であると自ずから理解できる。筆者は日本ではその評価が揺れていると国内の記念館を巡り語る。首相が変わることで確かにその評価は変わり、今年起こった沖縄戦の集団自決もなかったかのような言説も流布したりする。やはり今必要なのは正確な事実を日本人一人ひとりが知ろうとする努力をそして正確な情報を公的にもマスコミ的にも国民に届けていくことが必要なのだと思う。
本書を読み、私も筆者の紹介してくれた戦争遺跡を辿るたびに出かけたくなった。素敵なガイドブックになるに違いない。