私的応答
井戸川射子
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刊行日 2026/01/27 | 掲載終了日 2026/01/23
ハッシュタグ:#私的応答 #NetGalleyJP
内容紹介
☆☆『ここはとても速い川』で野間文芸新人賞、『この世の喜びよ』で芥川賞、『無形』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞!☆☆
今年、早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞も受賞した純文学界のニュースターが、自身も経験した阪神・淡路大震災にも向き合う最新長編!
♢♢♢
記憶なんかは幻なんやから、自分の好きな角度速度で眺めたらよろしい、良かった時で止めてしまえばよろしい。
自然を許すとはどういうことか。
されたことは消えないし、許していかないと自分の心に害が及ぶ。
でも、許すことは、忘れることとはまた違って――。
昭和から令和。母から娘へ連なる日々の「時間」と震災の「記憶」の物語。
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著者/井戸川射子(いどがわ・いこ)
1987年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。2018年に第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行。19年に同詩集で第24回中原中也賞、21年に小説集『ここはとても速い川』で第43回野間文芸新人賞、22年に『この世の喜びよ』で第168回芥川龍之介賞、25年に『無形』で第75回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。他の著作として、詩集に『遠景』、小説に『共に明るい』『移動そのもの』『曇りなく常に良く』がある。
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★★★
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出版情報
| ISBN | 9784065420317 |
| 本体価格 | ¥2,000 (JPY) |
| ページ数 | 160 |
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NetGalley会員レビュー
レビュアー 513020
昭和、平成、令和と連なる中で、母娘が記す内省記。
決して裕福ではない環境の中で、各々起点となる時期の内省が記されるが、裕福ではない中での不満ではなくむしろ気づきと疑問、確認であることが読み手側にも気づきをもたらすようだ。そして外的要因として大きく影響したであろう阪神淡路大震災における記述は生死を他人事のように述懐するかのようで衝撃的だ。また祖母を含めた系譜とも言うべき家族との向き合いは声にならない叫びのようにも思えてしまう。
衣食住だけではない心の動きで生を営むことを見つめた内省記。
レビュアー 1049450
祖母、母、娘という三世代にわたる家族の物語。
頭の中で思ったことをつらつらと書いていくスタイルなので、とにかく読みにくく、読み始めは少し努力というか気合が必要だった。
しかし、関西弁と、銅子や厚美の思考になじんでくると、途端に面白くなっていった。
誰もが口にしないだけで、頭の中ではこんなことを考えているんだなあ、と人の頭の中を覗いているような感がした。
娘が母の煩わしい言動をうんざりしながら聞いていても、読者は、その母がどのようにして育ってきたかを知っているので、その言動の意味を理解していたりして。そして、その娘が、今度は母になり、母や祖母の気持ちを汲むことができるようになり、ああ、こうして人は親の思いを知っていくのか、と。
どんな人の一生でも、他人からは興味深い物語であるのだと思った。
レビュアー 781279
昭和から令和へ。祖母、母、娘へと連なる記憶。
他人とは分かち合えない記憶で描かれていて、彼女たちの内面を覗き見ているようだった。
関西弁で語られていて、声に出してみると独り言をひたすら語っているような気持ちになった。
父性も男性的な存在もほぼ登場しない。
女性だけの家族だからこその生々しさがあった。
彼女たちが経験した30年前の震災。
これは彼女たちの記憶だ。その後も大きな震災が続いているが、彼女たちの記憶と重なることはない。彼女たちも自分の経験と他人の経験を安易に当てはめることはない。その思いを語るところが私は好きだった。
30年という時代は、三人それぞれに変化をもたらした。
家族へ複雑な思いも描かれながらも、お互いを理解し理解されながら暮らす三人。断片的な記憶が受け継がれながら、家族だからこその繋がりを感じた。
小気味よく終始流れる人生物語。年齢、性別、経験により捉え方が180度変わるであろう物語。色々あるけど時の流れに身を任せ、でも時に抗い、時にジタバタする物語。何で自分だけと人生の不平等に襲われる物語。百人十色の人生物語る。
レビュアー 1469440
ひとはいつだってどんなときも 見てるし思ってるし。
家族のカタチが変わったり
とてもとても大きな震災の 当事者になったり
現実は容赦なく 次のカードを出してくる
変えられないことに抗わない ママとばあちゃんと私
結構、いろいろあるほうの人生だと思うけれど
淡々
ごはんの量を愛情の量やと勘違いしている、
神戸の母ちゃんの遮二無二に傑作と唸る。
ここにないものはもうないんやと思い切りたい、
家族不在の空白。
子育てを振り返る言葉を足踏みに例える
可能性っていうのは何でも小さなっていくもんです
家族なんかどれも、外から見たら異様なもんやろう。
写真は余韻よ
カリスマ占い師に 言い当てられたような
芯
好きだらけ。中でも
布団の中でしか教えてもらえない、布団バージョンの節が好き。
子ども 男 仕事 自分
どこか一点に依り過ぎない 天性のバランス
陶酔しています。
レビュアー 946189
正直、文章が読み辛かった。
テンポよい関西弁の語り口に、つい釣られて早読みになってしまい、ペースを崩される。という調子で、読み飛ばしてしまったところを行ったり来たりしながら読み終えた。
内容は、決して裕福とはいえない家庭環境でも、くさることなく思うように生きる母娘の日常が、母視点、娘視点で軽快に語られているのだけれど、関西弁がその軽快さを更にアップさせている。
なのに、ずっしりと重い読後感は何だろう…
自分も子どもを持ち母親となってから過去を振り返る娘の視点や、二度の震災を経て感じるようになった疑問。
私自身も気付くと一緒に思いを巡らせていたようだ。
教育関係者 645139
《三世代の「心の逐語」が、時代と震災を越えて流れ込んでくる》
「自分も他も同じように、私の中を通っていく」
この書き出しで、もうノックアウトされた。
誰の感情も、評価も、同じ「私」を通過していくのだと告げられたのだから。
3世代に渡る母子。そのそれぞれの心の中を、文字通り余すことなく描き出していく。そこから浮かび上がってくるのは、母や娘との繋がりだけではない。乗り越えられないギャップさえもが、あるがままに書き留められていく。
それは、長く長く続く一つの段落の中に、リズム感のある言葉がひたすら並んでいくという形で。
さらにそこには、「私」という主語さえない。
考える主体である自分は、そう名指して思考をしないから。
考えている言葉の逐語表記から浮かび上がる、ぎゅっと詰まった思いの密度と、その疾走感に巻き込まれていく。
そう、まさにこれは、3世代のそれぞれが心の中で行っている本音=「私的応答」の逐語的全記録。
それに圧倒されながら、ひたすら読み進めた。
始まりは1980年。子ども時代の銀子と母の関係。互いにトラウマを抱えている様子に、息が詰まる。
銀子の妊娠を軸に、言葉にできない思いから2人が更に噛み合わなくなっていく様に、困惑した気分になる。
銀子と娘の厚美と母で訪れる動物園と遊園地。
厚美が、母である銀子を越えて、その母=祖母に気持ちを向けていく。
話す言葉からは見えてこない、そのすれ違いが辛くて仕方がない。
そして真夜中の地震。阪神・淡路大震災。
その揺れから父の拳をイメージしてしまう銀子の心中が、あまりに痛々しい。
銀子の視線から語られる震災。
生々しく描き出されていくその様子は、災害の全貌を知るよりも、重く染み込んでくる。
それだけに、「死につつある生きつつある、狭間」という言葉が、胸に深く刺さった。
その後、銀子と高校生になった厚美が、お互いに彼氏ができたことを話す様は、まるで反抗期同士のやり取りのようだ。
それに加え、8年経っても震災で割れた道路などの恐怖感から抜け出しきれない銀子。
それだけのトラウマなのか。
さらに時がたち、寝たままとなった銀子の母。
「生き続けるとは雪解けしていくことで、老後とはそれが蒸発するまでの時間」
その最後の時を、ゆるゆると過ごしていく心は描かれてはいない。
そこには一体、何が去来しているのか。
そして時は突然1996年へと巻き戻り、厚美の視点のみから、再び語り直されていく。
厚美にとっての震災の後。
それは、悲しさと笑い、怒りと諦め、相反するが分けられないそれらの思いが、心にずっと同居していた時間だった。
再び物語が「今」に追いつき、さらに先へと進んでいく。
母・銀子や祖母の生き方を、厚美が自分の目から見直していくのを読みながら、3人の心の底には、まだ震災のことが残り続けているのだと実感する。
すんでのところで助かるとは、生きていることそのものをトラウマに変えてしまうのか。
でも、その自覚までには至らず、でもそれを背負いながら、子育てをしていく厚美を見守るしかなかった。
図書館関係者 991976
終始モノローグで流れるように読める文章だったが、わかりにくい言葉の表現もあって、所々何を言ってるのか理解できない場面もあった。初めて読む作者の方で独特な感性の持ち主の方なのかなと思った。母と娘、祖母と母と娘、家に男性がいない家庭は他人とは違うことを主張しつつも、読後はどこにでもある親と娘の物語だったんじゃないかと感じた。家庭に初めて『男』が現れる厚美の家族は、息子は出て来ても夫はほとんど出てこず、息子に対する溺愛ぶりは伝わりつつも、家庭に『男』は必要ないことを暗に伝えている気がした。
レビュアー 750665
芥川賞を受賞した『この世の喜びを』をいつか読もうと考えていたら、ネットギャリーで最新作を読む僥倖をいただき幸せな気分に浸りながら、少し考えさせられる作品を読ませていただきました。
関西出身の著者が1995年の阪神•淡路大震災をはじまりに、昭和から令和、母娘三代に流れる「時間」と震災の「記憶」の物語です。
レビュアー 483494
作者の作品は本作で4冊目となる。自分の読解力の無さを棚にあげて毎回とても読みにくい。句読点が独特であり、スルスルと読む事は出来ない。だが、理由は分からないが10頁程読んでいくとなぜか心地良くなってくる。本作は母娘3世代の話であり、時代も昭和、平成、令和と移っていく。兄の怪我や、娘のダイエット、大地震の経験など意思の疎通の出来ない自然への思いや、畏怖、憧れが描かれている。タイトルの通り語り手の気持ちや想いで構成されていて、母、娘それぞれの立場で共感出来る箇所が多く、時に可笑しさも感じる。感想が難しい作品。
レビュアー 1114213
兄ふたりと妹。
それぞれ金銀銅と名付けられた彼ら。
金也は生まれてまもなく息を引き取る。
その妹である銅子によるクロニクル。
やがて妊娠しシングルマザーとなる銅子。そして震災の記憶。
関西弁による意識の流れを描いた作品。
詩人である著者の真骨頂のような一冊。
レビュアー 942723
関西の3代に渡る母と娘の心の中のつぶやき。
関西弁の女性が日々のことを延々と語る。
前半は1980年から銅子の語り。
金也、銀史、銅子という名前の3兄妹の末っ子。
この家はどういう訳か男性が家出をする傾向にあり、行方不明になった父だったり兄だったりをいつも捜している。
阪神・淡路大震災の描写が印象的。
銅子は幸せだったろうか。
後半は、1996年から銅子の娘の厚美の語り。
息子の周吾への心配が絶えないが銅子の話の後に読むと幸せでよかったなあ、と思う。
祖母、母、娘の3代で同じ出来事も感じ方が違うのが面白かった。母娘の関係って難しい。
教育関係者 528943
震災や貧困、どうにもならない家庭環境から容姿まで、母娘3代、胸を占める不安と少しの希望が継がれていく吐露記。
人の幸せって本当にわからない。些細な事にこだわったり、どう見ても絶望的だと思う所でケロッとしていたり。少しだけ心を乗せてなぞっただけでぐったり疲れてしまうような世界を、何気に自分も今生きてるのかと思うと、人生って本当にとんでもないと感じた。
図書館関係者 601014
存在は気になっていたものの未読だったので、井戸川さん初読み。
語り口調、それも独り言のように綴られているので、
呼吸が合わせにくい部分があったけれど、
それもまた誰かの呼吸を知る、ということでもあるので、
なるべくその呼吸に乗っかるようにして読みました。
阪神淡路大震災後に、神戸から大阪にお風呂に入りに行くシーンが印象的。
同じ日本であっても、被災したところとそうでないところでは日常が全く違う。
これは阪神淡路大震災に限ったことではなく、
日本が一気に消滅するほどのことがない限りどんな災害でもそれは同じで、
同じ時代に同じ国に生きているのにまったく違う時空で生きている、
そんなことを肌身で感じてしまうとなかなかに心強く持たないとおかしくなってしまいそう。
母親がダメな息子にも隠れて甘い様子とか、
「ある」けど「見たくない」ことをさらっと差し出される感じを覚えるわりに、
それでも独り語りだからかそこまで浸食されずに読める。
自身に限らず、突然崩れる岩とか、何に安心してよいか、なども考えさせられる。
レビュアー 1123234
昭和、平成、令和の40年以上にわたる祖母、母、娘の家族の物語。
ほぼモノローグで構成される文章と今回も独特な句読点で読むのに難儀したが、慣れてくると語り手の感情が意識の中に流れ込んでくるような不思議な感覚。
二度の震災(特に阪神淡路大震災)、出産、親子関係、ほんと人生って平凡なようでいて色々なことが人それぞれあるって感じられる話でした。
教育関係者 751214
1980年で始まる物語。舞台は関西。
母、娘、孫と3代に渡る心の内側が描かれています。
息子、娘の父親。母娘と関係する男性たちは悪ではないけれど、影は薄く、これは母娘中心の話に加えて女性の作家さんが書いているせいか、特に力は入っていないのに女性の逞しさを私が勝手に感じとりました。
阪神淡路大震災の時の記述には「生活」「生きる」ことの生々しさがありました。
そもそも豊かではないこの家族。避難所での生活やようやくホテルで泊まれるようになった時の描写などはただ黙って読み進めました。
東日本大震災の時の心の揺れも、東京で暮らす私には全く想像できるものではありませんでした。
出産も、寝たきりになったばあちゃんも現実です。
「生き続けるとは雪解けしていくことで、老後とはそれが蒸発するまでの時間」
生きて、見て、感じて発せられた言葉が散りばめられた1冊です。