はくしむるち
豊永浩平
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刊行日 2026/01/27 | 掲載終了日 2026/01/27
ハッシュタグ:#はくしむるち #NetGalleyJP
内容紹介
★★デビュー作『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で群像新人文学賞と野間文芸新人賞をダブル受賞した大型新人が、
圧倒的な筆力で描く衝撃の長篇第一作!★★
暴力が支配する世界に、「ヒーロー」は現れるのか?
戦争の傷が刻まれたこの島で、新しい地図を描くための「戦い」がはじまる。
きみは沖縄に生まれ育ち、ウルトラマンに憧れるオタクになった。
小中学校とエスカレートする「いじめ」を生き抜いたきみは、この島を分断する「壁」に向かって、ある「計画」を実行していく――。
沖縄の今を生きる少年少女と、80年前の戦場を生きた少年兵たち。
ともに白紙のような彼らを呑み込んでいく巨大で残酷な暴力に、どう立ち向かうのか?
現代と戦中戦後の時空を交差させて描く、鮮烈な青春小説にして、新しい世界文学の誕生!
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著者/豊永浩平(とよなが・こうへい)
2003年、沖縄県那覇市生まれ。琉球大学人文社会学部卒業。在学中の2024年、「月ぬ走いや、馬ぬ走い」で第67回群像新人文学賞を受賞。同作で野間文芸新人賞、沖縄書店大賞も受賞。著書に『月ぬ走いや、馬ぬ走い』(講談社)。本書が受賞第一作となる。
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★★★
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出版情報
| ISBN | 9784065417973 |
| 本体価格 | ¥1,800 (JPY) |
| ページ数 | 281 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
レビュアー 781279
デジタル世代の現代の少年少女と、戦時中の少年少女たち。
戦う方法は違えど、彼らはずっと戦っている。
二つの時代を行き来しながら、物語は二人称で語られる。
「きみ」を認識し、「きみ」がどう行動を起こすのか、「きみ」の周りの人たちが一体どんな行動をとるのか、私はただ見守るのみだった。
「きみらは正確に知らない、ガマと記憶の暗がりのなかで地続きになった歴史」という言葉が心に深く刺さった。その通りだ。私はその歴史を、地続きのものとして知らないのだ。80年以上前の歴史として、点としてしか認識していないのだ。 その言葉の鋭さに、一瞬で心が切り刻まれた。
何のために戦うのだろう。 神とは? 生贄とは? それらは表裏一体だった。 言葉を奪われ、戦うためだけに行動させられた戦時の少年たち。 行き場のない怒りを抱える現代の少年少女。 沖縄口で語られるからこそ、この物語には疾走感がある。
沖縄の風景を思い出しながら、読み終えて「安里屋ユンタ」を聞き、涙が止まらなかった。
血の匂いを纏いながら、時代を超えとんでもない力強さを帯びている。その衝撃に、私はただただ打ちのめされた。
レビュアー 513020
ある大衆カフェを軸として戦中・戦後と今の沖縄の若者の姿が描かれているが、若者特有の無知・無鉄砲さとは別の怒り・諦めが色濃く漂うのは沖縄という地だからだろうと改めて思う。誤解を恐れずに述べると、どうしても本土育ちと沖縄育ちでの人生の捉え方に違いを感じてしまう。それは中世・琉球王国からの歴史のせいか、近代以降強制的に様々に価値観を変えられたせいなのかは自分にはわからないが、奥底に流れる怒りの熱さがもたらしたのだろう。
理不尽に対しての怒りと諦めと哀しさと潔さを、観光地然とした表の顔とは違う沖縄の奥底を炙り出す熱を伴った作品。
レビュアー 1650304
タイトルの「はくしむるち」を見たとき、どんな意味が込められているのか気になり、リクエストしました。この作品は章ごとに中心となる人物と時代が違います。ひとつは現代で映画や漫画が好きな「きみ」、もうひとつは戦争に駆り出された大伯父である修仁「お前」。タイトルの意味や、きみ・お前と語りかける人物は誰なのか、など気になる謎が多く、最後まで一気に読み進めました。でも、正直全てが理解できたかと言われると自信がありません。途中から小説を読んでいるというより、ドキュメンタリーを見ているような気分になりました。作品の中で起きる問題を自分事として考えられる一方で、それをどう受け止めれば良いのか分からなくなりました。読んだ人と感想を語り合いたくなる、議論したくなる作品だと思います。
最初の方にあった、怪物は形を変えてきっと今もいる、という「きみ」の言葉が印象に残っています。怪物はたしかに身近なところに潜んでいるかもしれない。私はこれを中学生や高校生に勧めたいと思います。沖縄に馴染みのない人には沖縄語(方言)が少し読みにくいかもしれないけれど、それも含めて、どんな感想が生まれるのか気になります。
最後に、p.92 11行目あたりの「引っ込み思案な姪」という文章ですが、姪ではなく甥ではないでしょうか?間違えていたらすみません。
レビュアー 1446986
前作を知ってはいたけど読めておらず、初読みの著者。視点が「きみ」「おれ」「わたし」と変わって最初慣れなかったけど、すぐ気にならなくなった。沖縄の今を生きる若者達と、戦時中の若者の物語が交差して進んでいく。弱者達の抵抗の物語。差別の意味では無いつもりだけど、やっぱり沖縄って他の地域とは違うんだなと強く感じた。ユッキーの趣味がドンピシャ好みで、友達になれる気がした。
書店関係者 1034604
遠い時代の悲痛な叫びが、現代と重なることで身に沁みた。
慣れない方言の多さもあり、正直、前半は難しさを感じてしまった。その分、物語の全体像が見えた時の衝撃は大きかった。懐かしいオタク文化がたくさん出てきて共感した一方、私にとって沖縄は身近とは言えない。だからこそ、この物語を読んで良かったと思えた。
教育関係者 645139
《語りは、立場を失う。二人称は、傍観を許さない》
あまりにも雑多で殺伐として生々しい。
その一方で、視点がゆらめき、時を越えたつながりを静かに伝えてくる。
そんな不可思議な本書に出会い、読み終えたあと、しばらく何もできずにいた。
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高齢の大祖父・修仁が営む喫茶店「赤インコ」に出入りする行生。
その様子が二人称による語りかけで進んでいく。
客観でも主観でもない、意識を持った語り口が、行生たちの行動を生々しく浮かび上がらせていく。
だが、では――いったい誰が語っているのか。
沖縄の雑多な日常の中で、懸命に抗いながらも流されていく行生。
彼に手を貸すことのできない距離感が、読んでいて強い無力感を残していく。
それでも行生は、「赤インコ」にあふれる本やDVD、フィギュアといったサブカルチャーの洗礼を受け、絵を描くことに目覚めていく。
生きるための支えが、かすかな光として立ち上がる瞬間に立ち会えた。
そして、二人称で語られてきた「わたし」が姿を現す。
その熱量に圧倒され、思わず息を呑んだ。
本来は傍観者であるはずの語り手・円鹿でさえ、一人称となった時点で、否応なく物語の内部へ引き込まれていく。
彼女もまた、抗い、苦しみ、それでも生きようとする「登場人物」になっていた。
中学生となり、エアゾルアートに惹かれていく行生。
だが、その世界は更に危うさを孕んでいく。
円鹿もまた、同じ現実の中で必死に生きようとしている。
高校生になり、さらにエアゾルアートにのめり込む行生。
一方、円鹿は沖縄文化を継承するため、組踊に参加していく。
しかし二人を取り巻く人間関係は、半グレの介入などによって、より危険なものへと変貌していく。
とりわけ、女子を評価するサイト「全集」が円鹿たちに与える圧力は、あまりにも重すぎる。
この現代の物語と交互に描かれていくが、終戦間際の沖縄における修二と、その友人たちの姿。
軍事教練や学徒動員によって、彼らの敵はアメリカではなく、教官や制度そのものになっていく。
ワタナベ大尉だけはその異常さを理解して葛藤するが、それさえも時代に飲み込まれていく。
やがて始まるアメリカ軍の沖縄上陸。
吐き気を覚えながら、それでも読み進める。
死にゆく人、生き延びようともがく人、そして「生き残らせようとする人」。
そこに描かれるのは、現世に現れた地獄行だった。
修仁は、その中を走り続ける。
生き延びるために。
現代になっても残っている足に空いた穴は、銃槍だったのか。それとも、錯乱しかけた同軍の手によるものだったとは。
そして27年後。
歪な復興とアメリカ統治のもと、かつての姿を取り戻せない沖縄。
ただ一人生き残った修仁は、吐き気を「生きている証」として感じながら、仲間の遺骨を集め続ける。
そして始める飲食店の名は「赤インコ」。
それは、十数年かけて掘り出した遺骨の持ち主のあだ名。
その店に並ぶ、「赤インコ」の蔵書に息をのむ。
『往生要集』から『バガヴァッド・ギーター』まで。
そんな彼が、なぜ死ななければならなかったのか。
戦争とは、そういうものなのか。
修仁は赤インコの代わりに、本を読み続ける。
一冊一冊、丁寧に。
やがて「赤インコ」には様々なものが集まり、サブカルチャーが最後に辿り着く場所となっていく。
ここは、時代からずれながらも存在を主張し、そして忘れていったものが集まる場所なのか。
沖縄返還の日。
その日に訪れる悲劇と、生まれ出る命。
それが現代の物語とつながる接点になるとは、読む前には想像もしていなかった。
時が繋がり、94歳になった大祖父、修二を描く行生。
足の穴も含めて。
そして、それを見つめる新たな人称「ぼくら」とは、誰なのか。
おそらくそれは、死後もマブヤー(魂)として存在している、少年時代の修仁の仲間たちなのだろう。
危機的状況が極まり、二人称の語り手・円鹿を助けるため、行生は恐怖を押し殺して向かう。
それを、今度は「ぼくら」が語る。
とうとう、その恐しい一夜が明ける。
そして、円鹿の組踊が始まる。
幻想的な舞の中で、すべての人称が重なり合う。
「ぼくら」「わたしら」――それは時を越えた「わたし」になる。
何者かに差し出されてきた、すべての「わたし」へと。
入院中の修仁が口にする「ゆがふでーびる」、すなわち「万事めでたいようになりますように」。
物語は、その言葉へと収束していく。
行生や円鹿が、それぞれの道を歩んでいけますように。
かつて行生が刻んだ絵の署名、
「Shuwatch! * M78」
が波打ち際に残るのを見たとき、その祈りの強さを確かに感じた。
書店関係者 816883
沖縄が経験してきた蹂躙の歴史があまりにも生々しくて、改めて戦争のむごさを感じました。
戦争を過去の話と思える時代はもう終わってしまった。
人を虐げるあらゆる暴力は、いつの時代も、どの場所にも存在していて、いろんな形で未来へとつながっていく。
暴力もそれに抗うことも、きっと永遠に繰り返されるだろう。
人間の愚かさと強さが織りなす、今はまだ白紙の未来。
絶望のようにも希望のようにも思えて、深く心に刺さりました。
レビュアー 1114213
「お前のヒーローになってやるよ」
オタクでイジメられっこの僕の前に現れた内地から引っ越してきた同級生。
彼には何やら計画があるという。
二人称で語られる物語の語り手の正体とは。
沖縄のことばで語られるその歴史にまつわる叙事詩のような一作。
図書館関係者 601014
デビュー作もかなり強烈だったので、今作も気になってリクエスト。
沖縄をきちんと語れる人はうちなんちゅだけなんじゃないかと思ってしまうけれど、
それは「沖縄」を本土と切り離すことであってはならず、
沖縄のこえに耳を傾けてともに日本人として生きる道を模索する義務や責任は、
やまとんちゅのほうにあるなと再確認させられるお話。
戦争も基地もそれにまつわる犯罪行為も何もかもが地続きで、
世代の違うふたりの話が行ったり来たりするものの、
同じつらなりの中にあるのだということが前作よりもより鮮明で、
より弱いところに痛みが押し寄せるさまが読んでいて苦しい。
でもそれでもそれに押しつぶされないように進もうとするさまに圧倒される。