Z線上のピエタ
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刊行日 2026/09/04 | 掲載終了日 2026/09/11
ハッシュタグ:#Z線上のピエタ #NetGalleyJP
内容紹介
著者 宮内悠介自らが現地取材を経て書いた力作小説!
"ウクライナの義勇兵として亡くなった息子の真相を知るために、母は海を渡った!"
見慣れない国番号と共に、国際電話がかかってきた。ウクライナの日本大使館からだった。
「新里亮さんが亡くなりました。」
うちの子が死んだ。ウクライナで?なぜ?
最初に連絡を受けたときは、ボランティア活動にでも従事していたのかと想像した。
亮はどこで何をしていたのかと訊ねた。答えは、思いもしないものだった・・・。
出版情報
| 発行形態 | ハードカバー |
| ISBN | 9784267025174 |
| 本体価格 | ¥2,000 (JPY) |
| ページ数 | 232 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
教育関係者 645139
《知りたかったのは、息子の実像だった。けれど、真実はひとつではなかった》
息子が義勇軍としてウクライナで戦死した。
長く音信不通だっただけに、母恭子の驚きはいかばかりのものだったろう。
恭子がウクライナに向かう途中のワルシャワから始まるこの物語は、まるで暗い曇天下のような重苦しさから始まっていた。
それぞれの息子が戦死した時の実像を知るために、キーウからロシアとの国境近くのヴォウチャンスクに向かう、恭子とミラ。
その旅路は、コントラストが低く粒子も荒れ放題のモノクロームフィルムの映画の、ひたすら続く長回しされるシーンを見ているイメージだった。
互いに辛くても、いや、辛いからこそ、希望を持たせるために、実像を歪めないで欲しい。たとえ善意からであっても。
それが、ひとり取り残された母としての思いだったのだろう。人生を迷走してきた息子の最後を、母が知らなかった実像をありのままに知る。それが、年老いた母としての責任と悟ったのか。
だから、支援NPOからの話にも惑わされなかったのか。
〝死んだ義勇兵の母親たちに捧げる歌〟を聞いても、違和感を隠せなかったのか。
自分の意思で参加したのであっても、戦死してしまったら終わり。それを美化しないで欲しかったのか。愛している者を残していくのではなく、どんなになろうとも生きていて欲しかったのか。
そして、亮の実像。それはまさに、恭子が知る亮らしい最後だったはず。
ただ、それを確かめることで母としての責任を果たしたとはいえ、母としての気持ちは癒えなかったはず。
「俺が寝ると人が死ぬ」という、生前の亮の思い込みを知ってしまったなら、なおさらだろう。
だから、ワルシャワの旧市街、焼け落ちたそれとそっくりに復元された現在の市街地を見て、恭子は心がみだれてしまったのだと感じた。
復元されたものはあくまでも偽物。でも、復元したいと言う気持ちから見れば、本物も偽物もないのか。
一方のミラが得た息子スティーブの実像は、善意からの虚像だったとは。
でも、そんなミラを助けたのもまた、善意、それもたくさんの善意。
願い通り実像を知ることが叶った恭子とミラ。
この2人は、どのようにそれを乗り越えていくのか。
だんだんと色付きはじめたフィルム映画を見るような気持ちで、さらに読み進めていった。
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付記
潮に連載されていた時にはタイトルが『キーウから遠く離れて』だったのが、書籍化に際して『Z線上のピエタ』と改題されていた。
これには大きな意味が込められていると感じた。ヴァイオリン独奏の名曲「G線上のアリア」ではなく、『Z線上のピエタ』。
Zとはアルファベットの最期の文字であり、ヴァイオリンにはない弦。だから音はない。沈黙。死者はものを語らないことと同じ。
そして「アリア」ではなく「ピエタ」。ピエタとはキリストのなきがらを抱いて悲しむマリアの図像。
だからこの『Z線上のピエタ』とは、悲惨なウクライナとロシアの戦争の中から、物言わぬ死者となった息子を嘆く母2人の物語を取り出すことで、その悲惨さと願いを更に浮き彫りにしたタイトルなのだと感じた。
レビュアー 1469440
出勤前、5分だけと決めて読む。身に纏う匂いが変わる。
それは土、それは弾薬、それは死臭。
サイレンが鳴る。無人ドローン攻撃が襲来する。
ウクライナ日本大使館。個人史上、訪れるはずではなかった場所。
遠い国。生きる以外の思考が排除されているかのような場所。
愛息が異国の戦地で亡くなった。
特筆すべきは、その問答に同行者が現れること。
「何故、後悔したくない」そのの呼応が
二人を引き合わされたように思えてならない。
ピンチをえいやっに変える、不満はちゃんと言葉にする。
宿命?
亮とスティーブの最期の親孝行だったとしたら。。。
戦争の3年目にわざわざ来た理由が
ウクライナ語の発音がひどくて、冗談まじりに笑われていた横顔が
在りし日の亮をスティーブを母たちの記憶に追記される。
これでもう、貴女は息子を誇れますか。
ハルキウでスケートボードをする少年がいる。
生きている。~できるかじゃない、やるんだ~
今日を明日を生きる物語だった。
振り返らない人生が其処からはじまる物語だった。
それにしても、ミラが借りたレンタカーがスズキって。
レビュアー 781279
息子が義勇兵としてウクライナで亡くなった。
なぜ息子はウクライナに行ったのか?
その真相を探るために母親の恭子はポーランドからウクライナへと足を踏み入れる。
そこで出会ったミラもまた息子を亡くした同年代の母親だった。
二人はお互いの息子の死の真相を求め、戦禍の耐えないウクライナ東部へと移動していく。
二人の母親のロードノベル的な作品だ。
恭子とミラが真相を知りたいという思いは強い。
母親だから息子の最期ことを知りたいと思うのは当然だ。だが真相を知った時、行き場のない苦しい感情になった。
作中に出てくるようにボイジャーから、地球をみたら点でしかない。
そこに線を引き人間は争いを続けている。
ロシアがウクライナへと侵攻を開始した2022年当時は、義勇兵として日本人もウクライナへ行ったという報道があった。今は他の地域の戦争のほうが報道され、ロシアとウクライナとの戦争の報道は減ったように思う。
でもSNSを見ていると戦争は確かに続ていていて、恭子やミラのような母親は増え続けている。こんな現状が続いていいはずがないという憤りさえ覚える。
母親が強くなる必要なんてない。争いがなくなり生きていてさえくれたらそれが一番いいのだと思ってしまう。
宮内先生が現地取材されたということで、ホテルの室内の描写、シェルターに入る場面や寒さについて語る場面などはとても生々しい。
ロシアとウクライナとの戦争について改めて考える作品だった。
レビュアー 483617
巻末の著者プロフィールを見ると92年までニューヨークのウクライナ人街で育ったの事で、ロシアのウクライナ侵略にはただならぬ思いがあるのではないか。この小説を書くにあたって現地取材で得た市井の人たち(民間人、軍人)の息吹が本文から伝わって来ます。ニュースでは殆ど触れられる事のない義勇兵の存在と生き死に、その家族の想い。小説の形を取ってはいるが読み手にはそれを越えたものが感じられる。
レビュアー 1074736
「Z線上のピエタ」読了。☆☆☆☆☆ 宮内悠介の未刊作。本書は息子が義勇兵となって戦死したウクライナを訪ねた母親の視点で描かれているが、その割にはITを使いこなしているのは実際は著者のウクライナ訪問の経験が使われているのだろうと思う。過去に読んだ2冊に比べ、本書はリアル。まあ現代のウクライナ(戦中)が舞台だからシリアスにならざるをえないのだろう。主人公新里恭子は同じ境遇のアメリカ人と共にハルキウに向う。偽造の国際免許証でレンタカーを借りて。どうやら宮内悠介版「テルマ&ルイーズ」(1991)のようだ。死んだ息子と、その母親の嘆き。タイトル「ピエタ」がふさわしい内容。一方の「Z」とは〈2022年ロシアのウクライナ侵攻に参加したロシア連邦軍の軍用車両に記された・・・「ウクライナからドンバスを取り戻す」というスローガンを表すとともにウクライナ侵攻の象徴になった・・・”Z”という文字単独で侵略行為そのもの、侵略支持そして愛国心を表すタカ派のシンボルとして使用されている〉(ウィキペディア)。さて展開は驚くべきものだが以後は書かないほうがいいだろう。
レビュアー 746064
戦争がダメなのはみんな知っている。息子は志願してウクライナで死亡。キョウコは七十路で杖をつきながらもポーランドから入国した。そこで同年代のアメリカ人のミラと出会う。彼女も息子をこの地で亡くしたのだ。息が合いウクライナ首都を目指す。危険な現地に行き息子の全部を知りたい。戦時のウクライナの様子が映画をみるように伝わってくる。戦争に参加している若者の苛立ちや悲しさ・淋しさなどを考える。誰のための戦争か?みんなわかっている。迷ったら進め。我々は怒ってもいいのだ。
図書館関係者 1694122
多くの参考文献や、自身がニューヨークのウクライナ人街で育ったことから、著者がウクライナへの思いを強く持って書かれたことが伺えます。遠いところの戦争が身近に迫る気持ちになりました。特に後半での二人の母の思いに悲しみややり場のない怒りがせまり、読むことが苦しいほどでした。そんな中、不思議な縁の猫との出会いとその後に気持ちが少しだけ楽になることができました。これを読んだ後は、今もウクライナで戦う人々や暮らす人々のことを意識しニュースを読むようになりました。長引く戦争に慣れることなく、現実に起こっていることをしっかり見なくてはと思いました。
レビュアー 1564344
何故自分の息子がウクライナの義勇兵として戦い、そして亡くなったのか。日本人とアメリカ人の母2人が協力し合いながら、その謎を解き明かすべく戦火の現地で奔走する。残された家族、兵士、危険に晒されている国民、まさに今、こうした惨劇が行われているウクライナの人々の息遣いが聞こえてくるような生々しい読書体験だった。いつのまにか日々の暮らしに忙殺され、痛ましいウクライナでの出来事を対岸の火事として扱っている自分に愕然とする。被爆国に生まれ、戦争は忌むべきものだと教えられてきたのに手をこまねいている現状に身悶えする思いだ。恭子やミラ、傷ついた兵士の心情がとても丁寧に描かれており、果たして自分だったらどうするだろうかと自問せずにはいられない読書だった。
書店関係者 681228
読みだした瞬間から読み終わったいまも、死の匂いが近い戦場がすぐ傍にあるような感覚になった。いま自分が抱いている感情をどう言葉で言い表せば良いのかがわかりません。
なぜ自分たちの息子は戦争に志願して死んでしまったのか。70代になった身で二人の母親は異国の地で出会い、共に“知る”ために戦地へと踏み出す。慣れない土地、言葉、そこでも買えるドーナツと珈琲、それぞれの思い、そして、死の真相-そんな、けど、どうして、ああ…と突っ伏したくなりました。どうしたって彼女たちの心情に寄り添ってしまうので、どうして、どうしてこんなことにという思いが溢れる。けれど、ウクライナという地には巻き込まれた民間人被害者として息子を失い義勇兵となった男性もいて-本当に、どうしていまの現代でもこんな悲しいことが続いてしまうのかと誰もが考えることがなんども頭のなかをリフレインする。
わからない、わからないことだらけのなかで、悲しみも苦しみも抱えたままで、それでも「生きる」と歩いていく2人の女性たちの姿に胸をつかれた。いまもなお、続いている戦場の姿がここに書かれていました。
レビュアー 1604179
ここでなにをしているのか。ある目的のためにウクライナに降り立った一人の高齢女性、新里恭子。どんなことがあっても覚悟する、その強い決意も突きつけられる現実。変わっていく自分を感じながらも、かすかな望みを閉ざさないために危険な道を進むしかない。立ち止まれば消え去ってしまうのだから。理由もなく殺される。それが戦争。そうかもしれないけれど理由を知りたい。この思いをしているのは私だけではない、そう思えるだけでも心は救われる。ミラ、会うべくして会えたのかもしれない。月刊「潮」で連載されたドキュメンタリーのような小説。
レビュアー 443154
小説としてしっかりとした読み応えがあり、物語に引き込まれながら最後まで読みました。これまでウクライナについてはニュースで知ることがほとんどでしたが、本作を読むと、戦場の生々しい実態が伝わってきます。前線で起きていることだけでなく、戦争の中でも日常生活を続ける人々の姿や、常に危険と隣り合わせにある緊張感など、ニュース映像だけではなかなか想像できない現実を感じることができました。
特に印象に残ったのは、ウクライナで義勇兵となり命を落とした息子を持つ二人の母親を軸に物語が進んでいくところです。なぜ息子は戦地へ向かったのか、そこで何が起きたのかを知ろうとする姿を通して、戦争によって失われるのは命だけではなく、残された家族の人生にも長く影響が続いていくのだと考えさせられました。重いテーマでありながら、小説としての面白さもしっかりあり、最後まで先が気になりました。宮内悠介さんの作品を読むのは今回が初めてでしたが、他の著作も調べて、ぜひ読んでみたいと思います。