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国宝

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メディア/ジャーナリスト 501604

『国宝』は吉田修一の作家生活20周年記念作品である。
歌舞伎を舞台にした上下巻の小説で、発売は9月7日。

このような情報は調べればいくらでも出てくるのだが、原稿を紹介されてすぐに、『国宝』というタイトルさえうろ覚えのまま読ませていただいた。
と、いうのも、「この本は誰が書いたんだろう?」などと疑問に思い調べる隙もないまま、みるみるうちに惹き込まれ、ページをめくり、気づいた時には読み終えていたのである。

『国宝』は上巻:青春篇と下巻:花道篇から成る。
上下巻を通して、物語は語り手の口によって語られる。この語り手も、ときに噺家のように朗々と、ときに友人のように悪戯っぽく、そして最後には―――と、こちらの目をひきつけてやまない。

青春篇は主人公・喜久雄を中心に様々な人が困難に立ち向かったりあるいは挫折する様が描かれる群像劇だ。
極道の跡取り息子として生まれた立花喜久雄は、父の死と組の失墜を機にかぼそい縁のあった歌舞伎界のスター・半二郎に引き取られた。喜久雄はそこで女形として修業を積み、おつきの徳次や半二郎の息子・俊介と共に成長していく。厳しい歌舞伎の世界を垣間見ながらも、若者たちのエネルギッシュな人生を見守ることができるまさに青春の巻である。

しかし、花道篇。
いくつもの困難を乗り越え、喜久雄は成熟した歌舞伎役者になっていた。結婚して娘も大きくなり、喜久雄も30、40と年を取っていく。そして徐々に、青春篇で描かれた人々の足掻き・壁、そのほか一切の業が一人の男に集約されていく。
立花喜久雄。
大人になった喜久雄は未だ美しく、未だ衰えず、瞳は妖しく開いていた。既に彼は読者の知る努力家で負けず嫌いの喜久雄ではなく、周りのすべての運命を孕んだ、それどころか古今東西の歌舞伎で描かれた妖艶で非業な女たちの運命さえも孕んだような存在。
まるで「歌舞伎界の波乱万丈な群像劇」の皮の内側からカリカリと引っ掻いて、まったく得体の知れないものが出てきてしまったかのような不気味さは、心の底から素晴らしいと感じた。

立花喜久雄がどのように「魔」となったのか、そして彼はどうなったか、ここで触れることはしないが、この作品はただの青春小説でも、人間ドラマでもないと確信している。
人間という個を超えた、なにか大きくておそろしい、形のないものを描いている傑作である。

ぜひ本作品をお好きな書店で注文、または購入してください。