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誰もボクを見ていない

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教育関係者 556316

私のおすすめ度

親による子供への虐待、放置(ネグレクト)に起因する健全な人格形成や社会性の発達の阻害が、様々な形で社会を蝕んでいる。本書は親族殺害事件という極端な形で起きた事件を通して、この問題を掘り下げ、より包括的な社会の対応を考えようとする野心的な試みである。
 母親による精神的な支配下に置かれ、その浪費癖の財布役として、最初は祖父母や親戚への借金の使いとされ、しまいには殺人者となってしまう主人公の少年の生い立ちを、逃避行を続けた少年一家(とはいっても、母の男遍歴から安定した家族関係ではないが)を知る者たちへの聞き取りや、本人との手紙のやり取りを通じて明らかにしていく。
 少年の認知的共感性の欠如は、逮捕後に被害者家族に宛てて書いた手紙を見た担当弁護士をして、反省が伝わる内容でないという理由から渡されることがなかったほど、深刻であった。本書のタイトルにもなっている「誰も僕を見ていない」には、同時に少年を見ていてくれた「捨てたもんじゃない」世間があったにもかかわらず、認知的共感性を欠く少年にはそれが一切伝わっていなかったという意味も込められている。
 虐待の連鎖という視点から、母親の人格形成過程にも問題のあった可能性が示唆されるが、本書ではそこへつっこんだ分析はされていない。母親は公的機関からの生活支援に伴う介入の煩わしさから逃げ続け、逮捕後は著者の取材の要請も拒否しており、自身の問題を直視していないことがうかがえる。
 「自立とは多様な依存先があること」というと、表面上言葉の矛盾のように見える。しかし、健全な人格形成や社会性は、他者への信頼という白黒割り切れない課題を日々消化していく複雑な能力を、直近の家族(多くの場合は肉親)に始まり、少しずつその範囲を拡大していく過程を経て獲得していくものだ。
 安心や愛情を与えられずに育ち、「生きる意味」を見出せないと葛藤しながらも、母の気まぐれで生まれてきた幼い妹を献身的に世話した少年の中に、著者は希望を見出す。「究極に追い込まれた状況でも、人は他者に助けてもらう事だけでなく、他者から必要とされることを望み、それが生への動機になっていくのではないだろうか。」(265頁)
 著者、少年の弁護士に始まる少年への支援者のネットワークを通じても、少年の成長は続いていく。気まぐれで何かしらの見返りをあてにした支援などに頼れないという少年の猜疑心と、一度だけ面会に行って、手紙もやめてその後少年が自分のことを覚えているかわからないにも関わらず、毎月1000円の送金を続ける婦人の小さな博愛。重犯罪に至らないケースも含め、心を病んだ若者の社会不適応は大きな問題となっており、機能しない家族、その代替をある程度果たしてきた伝統的なコミュニティーの解体、ネット社会の功罪、地方・中央政府の役割など、非常に多くを考えさせる作品である。

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