寝煙草の危険

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刊行日 2023/05/19 | 掲載終了日 2023/05/15

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内容紹介

寝煙草の火で老婆が焼け死ぬ臭いで目覚める夜更け、

庭から現れどこまでも付き纏う腐った赤ん坊の幽霊、

愛するロック・スターの屍肉を貪る少女たち、

死んだはずの虚ろな子供が大量に溢れ返る街……

〈文学界のロック・スター〉〈ホラー・プリンセス〉エンリケスによる、12篇のゴシカルな恐怖の祭典がついに開幕!!!

カズオ・イシグロ(ノーベル文学賞作家)絶賛!

「美しく、怖ろしい……近ごろ私が発見した最高に面白い小説」

――ガーディアン紙「今年のベスト・ブック(2021)」

寝煙草の火で老婆が焼け死ぬ臭いで目覚める夜更け、

庭から現れどこまでも付き纏う腐った赤ん坊の幽霊、

愛するロック・スターの屍肉を貪る少女たち、

死んだはずの虚ろな子供が大量に溢れ返る街……

〈文学界のロック・スター〉〈ホラー・プリンセス〉エンリケスによる、12篇のゴシカルな恐怖の祭典がついに開幕!!!

カズオ・イシグロ(ノーベル文学賞作家)絶賛!

「美しく、怖ろしい……近ごろ私が発見し...


出版情報

発行形態 ハードカバー
ISBN 9784336074652
本体価格
ページ数 288

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NetGalley会員レビュー

語り口は淡々としているのだが、どぎつくペイントされたキリスト像のような一冊だなというのが読み終えての感想だ。
怪談好きは読んでみる価値はあると思う。
恐怖という感情は日本も海外も変わらないと思っていたが、表現の仕方や何に恐怖を感じるかというのは違いがあるらしい。
本書は12編の物語が収録されている。
恐怖を感じる出来事というものは非日常な訳だが、その非日常や、日常でない精神状態の振り幅が日本よりダイナミックのように思える。
それゆえに腐臭や、登場人物の体温、追い詰められた精神状態などがリアルに感じられるような気がした。
海外文学は翻訳者の力量もまた作品を理解し楽しむための要素の一つだが、本書は特に不都合はなかったような気がする。

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海外のホラー短編は日本とは少し違う湿度がある。不気味で汚らしい感じもした。戻ってきた子供たちという短編が良かった。行方不明になったたくさんの子供たちが戻ってくる話し。しかし、五年もたっているのに、年がかわってなくたり、何か時間経過がおかしいし記憶もないし変。大人たちは不気味なものを見るような目線で見るようになりだんだん阻害していくという話しだが、これは長編でも十分にいけそうなくらいの不気味さがあった。他にも面白い作品はあり、井戸のラストとか、ショッピングカートの話しなんか、かなり不気味だった。

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『ちっちゃな天使を掘り返す』
腐りかけたアンヘリータ(ちっちゃな天使)がまといつくイメージには、怖気がした。それを受け入れ手を差し伸べる「わたし」とは。だからこそ、納得いかないこんな終わり方になってほしくなかった。
『遊水池の聖母』
聖母が何か最後まで分からなかった。それが意味するものも。そして、最後のナタリアの叫び。あまりにも無惨で、それを当然の事とする様子が哀れだった。
『ショッピングカート』
残されたショッピングカートから始まる、なだれのような崩壊の様に言葉もなく。それだけに、救われた筈の家での、この終末が信じられない思いだった。
『井戸』
ホセフィーナを取り巻く怖がりの家族ら。それが真夜中の井戸をきっかけに彼女にも。段々増していく恐怖と、その理由がわかった時の驚き。終末の後、彼女に降り掛かる運命を予想することさえはばかられた。
『悲しみのランブラ通り』
異様な街。雑多で乱雑な暮らしを続けようとする住人と、綺麗にしようとする行政のせめぎ合い。それが狂気となり、存在しない子供達に収束していく様子に鳥肌がたった。
『展望塔』
「彼女」とは何なのか?その疑問が続く中、物語は進む。そして、エリナの運命と共にその正体が、縛り付けてきたものが明らかになると、読み返す中で文の端々に改めて呪いを感じることになった。
『どこにあるの、心臓』
「彼」の傷跡の真似をして、自分の胸を爪で掻いてみみず腫れをつくる、その視覚的イメージが強烈だった。そこからの展開に更に言葉を失っていったが、とどめはやはり、最後の一文。これも愛なのか?
『肉』
「肉(カルネ)」がロックスターの2枚目のアルバムだと分かった時、その題名に首を傾げた。そして、2人の少女の取った行動の根源となる、「肉」の最後の曲の題名を知った時、2人を崇拝していくであろう人々を思い描き、言葉を失った。
『誕生会でも洗礼式でもなく』
様々な人の要望に答えた動画を売るニコ。彼が親から依頼された、娘マルセラの撮影。彼女の行為はあまりにも酷く、読むのが辛かった。その真偽は問えない。でも、それがもたらす心情と亀裂が、あまりにも哀れだった。
『もどってきた子供たち』
何年も行方不明だった少年少女が次々と姿を表していく。その「帰還者」の不気味な共通点と、そ周囲の人々の変化。何が起きているのかわからないまま読み続けるしかなかった。そして、そのまま、突き放すような、恐怖感だけを残す結末。
『寝煙草の危険』
表題作。
あまりにも断片的で繋がりのない、でも息を殺して読むような奇怪な描写が続く。そしてこのエンディング。パウラは何故星空を求めていたのだろう? 共感を拒絶され、戸惑いと寒気が残った。
『わたしたちが死者と話していたとき』
ウィジャボードで死者と話す4人。その3人までが身内に行方不明者が。だからこそ、ビノキアが選ばれたのか? 唐突な急展開とその結末に、言葉もなかった。

スパニッシュ・ホラーを読むのは初めて。でも、あまり馴染みのない文化/生活よりも、あまりの奇想とその終わり方に、唖然として活字を追うしかなかった。そして悟った。恐怖を覚える、それは人という存在に共通したもの。それを抉り出すのに、人が築き上げた文化など関係ないことを。

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アルゼンチンをイメージするとき、ラテン系の明るい人達がいるところと思いがちだけど、実はそれだけじゃない。インフレ、貧困、戦争の傷跡、宗教、決して明るくない生活を送っている人が大勢いる。

 身近な人が行方不明になっていたり、死んでしまったりしていることが多いから、死との距離が意外と近いのかもしれない。貧しい生活の中で、人生を諦めてしまい、生きているのか死んでいるのか分からないような人もいる。

 精神を病む人もいる。家族と一緒に暮らしていても孤独な人もいる。

 その物語がホラーのように思えても、それは彼らにとっては現実なのかもしれない。

 アルゼンチン出身のアミーゴ・アンドレスが言っていた言葉を思い出した。「アルゼンチンでは生きて行くのに十分なだけのお金を稼げる仕事がない。だから外国へ働きに行く。そこでだってどれだけ稼げるかはわからないけど、アルゼンチンにとどまるよりはマシなのさ。」

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12編から成る短編集。どの物語もものすごくゾッとさせられる。超常現象的なホラー感はもちろんだが、時には被害者、時には加害者になる人々の残酷さや、残忍さに恐怖する。劣悪な環境下で行方不明の子供達や、煙草、薬物、売春などなど現実的な恐怖にジワジワとやられる。中でも『戻ってきた子供たち』は傑作だと思う。知りたくないような酷い現実と、何となく美しく感じる超常現象の対比が素晴らしい。文章は静かで淡々としているが、読んでいくうちに透明度の高い、刺すような冷たさを感じた。

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南米アルゼンチン文学の第一人者の女流作家による12編の幻想ホラー短編集。やはり土地柄のせいか陰湿な暗さはなく何処かに陽気で熱狂的な気質を感じますね。でも冷静に見えても明らかに頭のねじが外れて狂ってはいるのですけどね。私の印象に残ったベスト3は「ショッピングカート」の黒人ホームレス男の呪いのリベンジの流れが向かうラストの意外な戦慄。「肉」はカリスマロックスターが自殺した時に熱狂的ファンの少女が取ったおぞましさ行動とは?「戻ってくる子供たち」は死の国から帰って来る子供たちの話で「怪奇大作戦」を思い出しましたね。読者を選ぶ小説ではありますが意外と文章は軽く読み易く後を引き摺りませんですので一度読んでみられる事をお勧めしますね。私は2018年に日本に初紹介されたもう一冊の作品集「わたしたちが火の中で失くしたもの」も近々に読みたいと思いますね。

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ジャンルとしてはホラーの短編集と言えますが、一般的なホラーに持っているイメージとは、どこかちょっと違う匂いがする。
もちろん、震える怖さや嫌悪をともなう忌避も存分に味わえる。
けれど、すごく作品たちに可笑しみがあるのです。

どんなに不思議なことがあっても、不可解に思えても、おぞましいものに見えても。
「それ」そのものは、ただ淡々とそこにいる。
異質なものは異質なままに、むしろ堂々と。
人間は、それに対応できなくてあたふたしたり、どうすればよいかわからなくなってしまったり。

わからないものは怖い。
知らないものも怖い。
自分と違うものが怖い。
理解していたものが急に理解できないものになるのが怖い。
いつの間にか取り返しのつかないことになっていたら怖い。
そして、はっきりとさせてしまうことが怖い。

いろんな「怖い」があって、それを感じとるのは五感をフルに働かせた全身なのだろう。
時には第六感まで働かせて異質を感じとり、その恐怖から逃げようとする。

そんな人間の感情を乱高下させている様子に、異質なものたちは案外「キーキーうるさい奴らだ」なんてことを思ってたりするのかもしれない。



「ちっちゃな天使を掘り返す」
「戻ってきた子供たち」
この二編がとてもお気に入り。

「ちっちゃな天使を掘り返す」
おばあちゃんの死んでしまった妹、ちっちゃな天使のアンヘリータ。
何故姿を表したのかわからない。
見た目はグロくても、存在感がなんだかキュート。
後ろをついて回る姿はちょっと健気にさえ見えてくる。
何だか絆されちゃいそう。

「戻ってきた子供たち」
行方不明になった子供たちは、もう最期をむかえてしまったのかもしれない。
一度失われたものは、同じに見えるものがまた見つかったとして、それは同一なのだろうか。
そしてそれはきっと、失った者が願ったから見つかった訳ではなくて、それはただそのようにあるものだから、そのようにあるだけなのだ。

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