
朔と新
いとうみく
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刊行日 2025/07/15 | 掲載終了日 2025/07/15
ハッシュタグ:#朔と新 #NetGalleyJP
内容紹介
// 第58回野間児童文芸賞受賞作品 //
「伴走者になってもらいたいんだ、オレの」
ブラインドマラソンを舞台に、
近いからこそ遠くに感じる兄弟、家族の関係を描き切った
青春ストーリー!
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兄の朔(さく)が1年ぶりに家へと帰ってきた。
朔と弟の新(あき)は、一昨年の大晦日、父親の故郷で正月を迎えるために高速バスで仙台に向かい、バスが横転する事故に巻き込まれた。朔は視力を失い、盲学校での生活を送っていたのだ。大晦日に帰省することになったのは、新が母親と衝突したことが原因だった。本来の予定より一日遅れでバスに乗ったのが、運命を変えたのだ。
中学時代、新は長距離走者として注目を浴びていたが、ランナーとしての未来を自ら閉ざし、高校に進学した後も走ることをやめた。そんな新に、突然、朔が願いを伝える。
「伴走者になってもらいたいんだ、オレの」
激しく抵抗する新だったが、バスの事故に巻き込まれたことへの自責の念もあり、その願いを断ることはできなかった。かくして兄と弟は、1本のロープをにぎり、コースへと踏み出してゆく――。
(本書は2020年2月に刊行した単行本を文庫化したものです)
◆
著者は、多数のYA作品を執筆し、河合隼雄物語賞、坪田譲治文学賞など数々の受賞歴がある、いとうみく。夏の読書感想文全国コンクールの課題図書でもおなじみのいとうみくの作品群は、今を生きる若者たちの必読書といえる。
文庫版解説は、金原瑞人氏(翻訳家)
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著者/いとう みく
神奈川県生まれ。『糸子の体重計』(童心社)で日本児童文学者協会新人賞、『空へ』(小峰書店)で日本児童文芸家協会賞、『朔と新』(講談社)で野間児童文芸賞、『きみひろくん』(くもん出版)でひろすけ童話賞、『あしたの幸福』(理論社)で河合隼雄物語賞を受賞。『二日月』(そうえん社)、『チキン!』(文研出版)、『天使のにもつ』(童心社)などが青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選ばれた。他の著書に、『かあちゃん取扱説明書』(童心社)、「車夫」シリーズ(小峰書店)、『夜空にひらく』(アリス館)などがある。全国児童文学同人誌連絡会「季節風」同人。
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◆ 担当編集者より ◆
河合隼雄物語賞、坪田譲治文学賞、ひろすけ童話賞、日本児童文学者協会賞……。数々の受賞歴を誇るいとうみくさんの作品が、初めて講談社文庫に加わります!
本作は、第58回野間児童文芸賞を受賞しました。
高速バスの横転事故で視力を失った兄、そのバスに乗る原因をつくってしまった弟。その兄が、突然、マラソンを始めると言いだし、なかば強引に弟を「伴走者」として指名します。
若い世代から絶大な支持を集めるいとうみくさんが、ブラインドマラソンのロープがつなぐ兄弟の絆を描き切ります!
販促プラン
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★★★
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★★
出版情報
ISBN | 9784065393130 |
本体価格 | ¥810 (JPY) |
ページ数 | 304 |
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不遇の事故を 家族や出会いを重ねて乗り越える不屈の物語
と名付けてしまうのは浅はかだ
大晦日に移動しなければ 事故に遭わなけれなれば
一瞬にして消えてしまった「見える」という世界
手をつなぐこと 自転車のふたり乗り 着信拒否
ふだん何気なく口にしてしまう「大丈夫?」
喪失感は自分の弱さと向き合うことであり
家族と距離を取るべき時間が必要なときがあり
此処にくるまで いくつのたらればを挙げただろう
誰かのせいにしても 1ミリも何も変わらなかった
ただ 諦めるとか仕方ないという 対処法を知らなかった
走ってみた 走り続けた 結果 変わった
感じる風が 関わる人が 家族が 腰の位置が
キロ8分かかっていたのがキロ5でいける 今なら
こうなるのはオレの運命だったと言いきれる
私事、陸上競技に注力していた時期がある。
だから炭酸飲料のくだりは わかりすぎてうれしかった。
たぶん陸上、でなければ描けなかった。

あのとき、あの選択をしなければ・・・。
あのとき、あの動きをしなければ・・・。
という後悔は誰しも持つものだ。時々その後悔は、自分の心の底から浮かび上がってきて
忸怩たる思いと向きあわされる。
この物語の主人公たちは、重い十字架を背負うような事故に遭う。
そして「あのとき」という気持ちと「彼我の違い」による運命と向き合いながら
生きていくことになっている。
母親との関係、周りの友人との関係。そして自分の心との対峙。
描き出されている以上に、心の中は重いはず。
「走ること」で「見ている世界を得る」というのが、この二人の選択としてベストだ。
二人の心の動きの描き方がとてもすばらしく、同世代にぜひ読んでもらいたい。

目の見えない人のマラソンに付き添って一緒に走り、目の代わりをする「伴走者」。
事故で中途失明の兄の伴走者を弟が務める物語と知って、兄弟が伴走者というのは難しいんじゃないかなぁ、と思っていたら、まさに、
「兄弟っていうのは、なかなか難しいと思うよ」
という台詞が出てきて、なるほど、そのことをベースにして物語が展開するのかと頷いた。
家族が突然中途失明したら、どの程度気を遣えばいいのか、手伝えばいいのか、たしかに戸惑うだろう。失明した家族が、一年以上盲学校の寮に入って別居していた後なら尚更。
反面、失明した方は、自立していたい、迷惑をかけてはいけない、と気を遣う。迷惑をかけたなら補わければいけない、と気を遣う。
兄弟なればこその距離の近さ、気を遣ってしまうことの苦痛、役にたてることの喜び。走ることが新しいことへの挑戦である朔、一人で走ることがかつて喜びであって今は複雑な気分の新、二人にとっての「走る」ことのそれぞれの意味。
兄弟っていいものだなぁ、と、ひとりっ子の私は羨ましく読んだ。

高速バス事故で失明した兄に頼まれてブラインドマラソンの伴走を引き受ける弟。しかし実は兄弟が事故を起こしたバスに乗ることになったのには弟のつまらない意地があったという理由があり、そのことで弟はかなりの負い目を持っていた。
二度と取り返しのつかないことはあり、それとどう折り合いをつけて生きていくかを探す物語。兄弟は自分の心を見つめて立ち直っていくけれど、その代わりに2人のお母さんが全く救いの無い悪者に描かれているような気がしてちょっとモヤモヤしました。

思春期という難しい時期を繊細に捉える。誰も悪くないと誰もが思えるはずなのに、どこか自分を責める主人公と誰も悪くないと思いたいのに誰かのせいにしないと気が済まなかった母。そして誰かのせいじゃないことはわかっているのにどこかで弟を責めてしまう当事者の兄。『誰も悪くない』それで片付くことはほとんど無く人は誰かのせいにしないと生きていけない時もある。児童文学に近い作品ながらメッセージ性がとても強く考えさせられる部分が多かったです。

バスの事故で全盲となった兄・朔が盲学校から戻ってきた。弟の新は、それをきっかけに陸上をやめていた。だが、朔からブラインドマラソンの伴走者を頼まれたことで、ふたりの関係は新たな局面を迎える。
「成長」とは何かを、読む者の胸に真っ直ぐ問いかけてくる、児童文学の金字塔。
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複雑な思いを抱えながらも、朔の手助けをしようとする新。けれど、ふたりはなかなか噛み合わない。
そのとき朔が言った「障害と病気って混同してる人が多いんだ」という言葉にはっとさせられた。
でも、障害を受け入れて自立しようとする朔の姿勢が、逆に梓や新との距離を生んでしまっていたとは。母と朔への引け目を抱える新、自分の意志をきっぱりと口にする梓。朔への向き合い方が、これほどまでに違うとは思わなかった。
そして、新が陸上を辞めた本当の理由に、愕然とした。ブラインドマラソンに関わるようになったのは、自分の本心を押し殺した朔への謝罪なのだろう。それでもブラインドマラソンを続けていく事は、ふたりだけでなく周囲との関係を変えていく事になるとは。
互いに知らなかった相手の一面を知ること。
そして、それを通じて自分も変わっていくこと。それが「成長」であり、人はひとりでは生きていけない。その思いを胸に、読み進めた。
アイマスクをしてロープで導かれる新に語りかける境野の言葉も印象的だった。「同情」ではなく「わかること」「体感すること」の大切さ。障害を「個性」として受け止めること。どれも、相手を認め、尊重するという姿勢につながっていた。
そして、朔が新の左に立ちロープを握ったとき。境野が白杖を預かるその意味を悟った新の中に、伴走者としての責任が芽生えるたのだろう。「白杖の代わりになる」ということの重大さを。そして何より、「楽しく走れるように支える」という、一見あたりまえでいてとても深い意味。全てを委ねる朔の気持ち、それを受け止める新の姿に胸が熱くなった。
朔もまた、変わっていく。寡黙だった彼が、母に現実を直視するように、新をきちんと見るように語りかける。悩み、苦しみながらも、それでも周囲の人たちのことを考えていく朔の強さに気づかされた。
だが、すれ違いもある。兄弟、家族という関係だからこその距離感の難しさ。
あれほどの負い目を抱えて陸上をやめた新が、伴走を引き受けることと、それを頼んだ朔。どちらにとっても、嬉しく、そしてつらいことだったに違いない。
それを越えていくふたりの姿は、「1+1」ではなく「1×1」になっていくまでの、確かな歩みだったのだろう。
そして、朔・新・梓がそれぞれの変化を「成長」として認め合う場面には、涙を堪えられなかった。
更に、走りながら兄弟が本音を明かし合う場面は、苦しく、けれど何より嬉しいものだった。
ここまで深く心を交わせたのは、単なる兄弟だからではない。ブラインドマラソンという絆が、ふたりの関係を本質的なものに変えていたからだと確信した。
そして、ゴール。
それは、ふたりにとって、新たな「スタート」でもあるはずだ。
吉瀬(『車夫』より)の登場も嬉しい。その落ち着いた的確なリードから、彼自身の成長と「理想の伴走者像」を感じ取ることができた。

あぁ、やっぱりこの人の書く小説はすごい。
もっとたくさん、文庫本になればいいのにと思う。
いとうみくさんは、児童文学をたくさんたくさん書いてきた作家さんだ。
本当に大切なことを子どもにも届く言葉で紡ぎ続けてきた作家さんだと思う。
家族の、親子の、兄弟の、距離が近いからこそにじみ出る、人としての業の深さがくっきりと描かれている。
そのことに、救われる。
家族の中で、それぞれの役割を無意識に全うしようとして、でも出来なくて。
それを偽善だと思いながらも目をそらして、
挙句の果てに、耳障りのよい言葉で糊塗してしまう。
そんなことは、よくある。
よくあるけれども、見なかったことにしたい。
それをこんなに冷静に淡々と、でも希望を捨てずに描いてくれる作家さんは、そうそういないと思う。
読んでよかった。

家族だからこその距離の近さが災いして、逆に遠慮と蟠りを生んだりする。
朔と新兄弟の間に歴然として存在する齟齬。高速バスの事故により、中途失明者となった兄の朔。その遠因が自分にあると思い込んだ弟の新。
陸上を辞めた新に屈折した思いを抱く朔。ブラインドマラソンを通じて、新に伴走者になってもらい、共々走ることに挑戦することで、お互いの葛藤は深まった。朔の喪失と再生の苦悩、新の後悔。取り返せない過去と見知らぬ未来。揺れに揺れるふたりの内心は目を背けたくなるほど厳しいものだった。ことばのナイフで斬り合い、血の滲むメンタルが痛々しかった。
一本のロープで繋がり走ることで、ようやく思い至った境地は、朔と新のゴールでありスタートだった。
きっと死闘が待っている。でも、このふたりなら走っていける。

誰もが、もがきながら、苦しみながら、必死に生きているます。もう駄目だって時でも、歯を食いしばってだましだまし生きています。どうにかこうにか、這いずりまわって生きています。悔しさと、諦めの混じった夜に眠り、今日は昨日とは違うかもと、かすかな希望の朝をむかえています。たとえ、 他人には、不真面目で、へらへらと生きているように見えたとしても。たとえ、他人には、自信満々で、順風満帆に生きているようにみえたとしても。誰もが、もがきながら、苦しみながら、必死に生きている・・・そうでは、ありませんか?
自分とは何者か?
あなたがまっすぐ答えられるなら、あなたは、自らの「孤独と自由」を知っているのでしょう。
残念ながら、わたしは、そうではありませんでした。深く考えず曖昧に、中途半端でした。自分一人で生きていると言いながら、実は、なんとなく、他人任せに生きているのです。それは、自分の本当の心に出会っていないからでしょうね。他人のこころに支配させている自分のこころが残っているからでしょうね。そのうえ、ひょっとしたら、その他人にも本当には出会っていないのかもしれません。自分勝手に他人のこころを思い込み、自分勝手に縛られているのかもしれません。そして、自分勝手に、その他人を憎み、自分の不幸はその人のせいにする、そんな卑怯で臆病なこころを言い訳いっぱいに抱え込んでいるのです。
朔も新も、運命という言葉を中途半端に使うのはできない誠実な少年です。でも、どうするのが正しい答えかなんてわからない。考えず逃げてしまったり、諦めてしまったり、自暴自棄になったり・・・深く深く、あえいでいました。でも、ブラインドマラソンに出会ったことですこしずつ、変わり始めます。「変わろうとする」こころが、勇気を生み、毅然とした行動を生み、それが、周りに伝わり、爽やかな未来が開き始めました。
背負ってしまったものを無かったことにできない以上、目をそらすことはできません。受け入れ、認め、しっかりと今できること。背負ったからこそできることに努力する。人を恨む時間も、自分を卑下する時間も、もういらない。ここでこそ必死になって生きるのだと、リアリスティックな希望の光のほうへ正直に向かうだけ。本当の自分に出会うとき、言い訳はいらなくなる。人生に、「運命」に素直に自分らしくあろうとするだけ。
ふたりは、物語の最後で、本当の人生のスタートラインに、立ったようです。清々しい風と、ひかりのなかで。朔も新も「始まり」の意味を持つ名前ですものね。
さあ、まっさらな人生です。これからだって、ふたりで居たって、自分の「孤独」はかわらない。でも、孤独を知ったものは自由です。孤独を知ったもの同士が出会うときに、一人だけの人生は遥かに豊かで、一人だけの人生で見ることができる景色より遥かに美しい、そう思えてなりません。
いとうみくさんは、リアリストで、そして、希望を信じる人なのですね。
「走ることはやっぱり孤独だ。孤独で自由だ」
ブラインドマラソンの、ランナーと伴走者になぞらえて、大切な「生きる」ための真実を伝えてくれた作品です。ありがとうございます。

たまたま、ライトハウスに行き中途失明者のことを意識した時に、この小説だった。いろんな事情で誰しもが視覚障害者になりうると思いながら、その時をどう生きるか?を考えながら読む。それは、著者の意図するところではないかもしれない。著者は、朔と新の心の成長や乗り越える心のきびを描きたかったのかもしれない。母のセリフは、自身が母がかけられた言葉と同じで、嫌悪の塊になり、存在が嫌だ。よいとか面白いとかでなく、私には考える作品だった?

朔と新は兄弟。
1年前、父親の故郷へ帰る日の事で、
新が母親と言い争いになり、
兄の朔が付き合って
2人は遅れて帰省する事になった。
そのバスが事故に遭い、朔は失明。
盲学校に入寮し、
1年間一度も家に帰らなかった朔が
今日帰ってくる。
新は自分を責め、合わせる顔がない。
新は事故に遭う前、期待されたスプリンターだった。しかし、事故をきっかけに走ることをやめた。
朔はそんな新に、
ブラインドマラソンをやりたいから、
伴走者になって欲しい、と頼む。
事故は突然、その人達や関係者の人生を変えてしまう。
朔や新の心の中にしまわれた葛藤は、
家族だからこそ、
関係性が近いからこそ、
上手く伝える事ができない。
家族の方が上手く伝えられない…
すごく共感しました。
面と向かって文句を言えば
その後空気が悪くても
同じ屋根の下にいなければならないし、
悩んでる姿や1人あがいてる姿を見ても、
口にしないのにこちらから
声をかけるのは躊躇われるし、
でもその姿が見えてしまうから、
気にしない、なんて出来ない。
だからこそ、
家族には見せたくない姿も
あるかもしれない。
過保護的な、心配性の母親
ちょっとお節介な友達
人は放っておいて欲しいと願っても
1人で生きるのは難しいし
結局は、人との関わりの中で
抱えた問題を乗り越えていくものだと思う。
兄弟2人の葛藤を中心に、
ブラインドマラソンを通して
世界を広げていく様が
感動的でした。
ある女の子がキーポイントなのですが、
そのエピソードは、胸を打たれました。
純粋な心を忘れずにいたい。
そう思わせてもらった作品でした。

朔と新、不慮の事故で日常が一変したとき、どうなってしまうのだろう。十代の頃は感情表現が難しく素直になれなことが多いけど、弟が兄を、兄が弟を支え、ブラインドマラソンを通じて一つになっていく。二人での初めての一歩、どれほど緊張しただろう。歩幅もリズムも呼吸も合わせていく。安全を願う親の戸惑いや友の心遣い、繊細な心理が描かれている。人は強くもあり弱くもある。人は後悔し前を向く。自責も他責もある。人は変われる。大切な存在がいると勇気が湧いてくる。ただ走るだけではない。その先の新たな道へ。二人を繋ぐロープとともに。

「ブラインドマラソン」って知っていますか?
わたしは、見たことはあったけれど、その世界をまったく知りませんでした。
視覚に障がいのある人が行うマラソン。視覚障がいのレベルによって、「伴走者」と呼ばれる人とペアで走る。この小説は、事故で視力を失った兄「朔」と、軽傷ですんだ弟「新」が伴走者として走る物語。
……ではあるのですが、ブラインドマラソンの紹介だけではない、兄弟や家族、人とのつながり、成長を応援したくなる物語でした。
高速バス事故に巻き込まれ、朔は視力を失う。その事故に新は、「自分のせいだ」と自責を感じ続ける。
いつでも強く優しい兄、不機嫌だけど本当は周りをよく見ている弟。そんな二人が、すれ違い、向き合い、ふたたび共に走り出す。
関係性が近いほど、本当の気持ちっていえないよなあ、「家族」って意外とお互いのこと理解できていないよなあ、と振り返ります。
入試問題だったり、読書感想文の課題図書だったり、ではあるのですが、いや、そういうの関係なく一気に読んでしまう作品……!
障がいのあるなし、とかではなく、人として、家族として、ひとりでは生きていないし、周りと生きていくことをあらためて考えます。

事故で視力を失った兄と、軽傷だったが大きなものを失った弟が、幾つもの葛藤を抱えながらも兄弟でブラインドマラソンに挑戦する。後悔と苦悩を希望に変えていく再生の物語。
強い人って何事も自己完結してしまうから、どこまで踏み込んでいいのかわからない。でも本当は人には強いも弱いもなくて、ただ強くあろうとしているだけなのかもしれない。距離感を間違えると、その意地を暴いてしまう恐れもある。題材も、兄弟の性格も、年頃も、何もかもが繊細で、ほんの少しのズレで歯車が狂っていくもどかしさが、そこかしこから痛切に伝わってきた。思い遣りと偽善は紙一重で、実は当人すらもどちらなのかわかっていない場合もある。それでも何もしないよりは何かした方がきっといい。一所懸命もがく彼らから一歩踏み出す勇気をもらえる作品。

朔と新、2人兄弟の物語。
事故で視力を失った朔と事故をきっかけに心を閉ざしてしまった新。
兄弟、彼女、両親、登場人物それぞれの思いを想像しては心が痛くなったり、温かい気分になったり。
痛みを抱えながらも自分と向き合い、一歩ずつ前進していく朔と新の姿に心をうたれた。
人間の嫌な部分も隠さず描かれ、心に突き刺さってくるものがあった。
兄弟の母はとても自分本位で嫌な人だと思ったけれど、彼女の状況を考えれば一概には責められないとも感じた。朔や朔の彼女の母親への対応は大人だけれど、私はできないな。大人である私の彼女への対応は秋と同じようなものになってしまうと思った。
思いやりと偽善は紙一重、人間は清濁併せ持ったもの、そんなことを考えながら読んだ。
ブラインドマラソンを通して描かれる兄弟の変化には感動。人の精神的成長ってすごい。